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“本当の恐怖”を知ること

齊藤ゾンビです。


最近、ネットでとても恐ろしい映像を拝見しました。

それは、「火事の映像」です。

その「火事の映像」は、私の想像していた火事のイメージを遥かに超えていたものでした。

私のイメージしていた火事の映像というのは、一般的だと思いますが、避難され誰も居ない建物が燃えていて、それを離れたところから撮影しているだけの映像というものです。

テレビやネットに出回っているものは、ほとんどそういうものだと思います。

そういう火事の映像を見て、「恐い」と感じる人も居ると思いますが、「炎が凄い!!」と思う人も居れば、「燃えてるねぇ」とただ思うだけの人も居ると思います。

しかし、危機迫る恐怖感を感じる人は少ないかと思います。

ましては、炎は、ショーや映画などでも綺麗な演出として使われることもあり、人々の感覚の中には、「恐い」という感覚が薄れているものだと感じたりする。




しかし、私が見た映像は、一番最初に記したように「想像していた火事のイメージを遥かに超えていた」ものだったのです。

それが、この映像の特筆すべきところ。


この火災映像の詳細は、

「2003年にロードアイランド州ウエストワーウィックのナイトクラブ「ザ・ステーション」で起きた悲惨な火災の映像です。
この事故で100人が死亡、230名が煙を吸ったり将棋倒しなどにより負傷。
事故後の調査によるとステージの火花が天井へ燃え移り、また観客がそれも演出の一部と勘違いした事から逃げ遅れて大惨事に繋がったとしています。
ステージの責任者には過失致死傷罪で有罪判決がでています。」


というもの。

ライブの演出で舞台上で行われた火花が天井へ燃え移り、舞台からライブハウス全体へと炎が燃え広がっていったのです。



映像の流れを説明します。


ライブハウスの天井に演出で行った火花の火が燃え移る



炎が燃え広がっていく



建物の中に居る人達が大パニックになる



出入り口はパニックになった人達が押し合い将棋倒しになり、完全に人で詰まり塞がった状態になり誰も出られない状況になる



建物全体が炎に包まれる



出入り口に居る人達が悲鳴をあげながら燃える(直接映っている訳ではないが、そう見える)


駆けつけた消防士たちが必死に消火作業をしている


という映像でした。



映像を見ていた時、あまりにもの恐ろしさに心臓が大きく鼓動を刻んでいました。

正直、火事がこんなに恐ろしいものとは、全然思ってもいませんでした。

想像もしていませんでした。

それ故に、映像を見た時の衝撃は、もの凄く大きかったです。


炎も恐いが、それ以上に人がパニックになり二次災害による大惨事を招くことがもっと恐ろしいことなんだとも感じました。

少しでも冷静であれば唯一の出入り口で人同士が挟まって塞がれることはなかったかもしれない。

100人の死亡者というのは、この塞がってしまった出入り口の影響が一番大きいと考えられる。

しかし、この状況で冷静に居ることは、簡単に出来ることではない。

誰かが映像のコメントに書いていたが、出口から遠い人、すなわち、火事現場から近い、又は、人の群れの一番後ろの人は、大パニックになり恐ろしいことになっているのだろう、正に、前の人を殴ったり払いのけて前に必死に行こうと暴れているかもしれない。

それに加え、煙は凄い勢いで充満し、死の恐怖もどんどん増していく。

そんな現場を思うと、冷静になんか到底なれないと思う。




この映像は、観客席前方でビデオ撮影していた観客が一部始終を撮影していたものです。

炎が天井に燃え移った瞬間から、脱出し、外から一部始終を撮影しています。

映像には、人を助けている人、逃げている人、泣いている人、発狂している人、燃えている人、いろんな人が映っています。

その中でこの撮影者は、冷静にその一部始終を撮影しています。

映像を見た人の中には、「撮影してないで助けろよ」と撮影者を非難する方もいるかと思います。

しかし、私は、この映像を見て「映像におさえることの大切さ」強く感じました

又、撮影者のその根性にも凄さを感じました。




「映像に撮ることの大切さ」、それは、とてもモラルが無いように思われる発言かもしれません。

しかし、この映像を撮影し、この映像を人に見せることで見た人に大きなものを与えることが出来ます。


それは、「恐怖」です。

「恐怖」を感じることは、凄く大切なこと!!


人類が誕生して何万年、ここまで人類が滅ばず生きながらえてきたのは、「恐怖心」というものがあったからです。

「恐怖」を感じるからこそ人は危険なものに近づかず、常に危険を回避し、生き抜く術を編み出し、生きながらえてきたのです。



「恐怖」は、“生きるため”に最も大切な要素。


この映像からは大きな大きな恐怖、すなわち、“火事の恐怖”が記録されています。

その恐怖は、きっと誰もが想像を越えているほどのものだと思いますし、その記憶は強く残ると思います。

こんな映像恐ろし過ぎてニュース番組でも絶対に流せないものだと思いますし、映画でも再現が出来ないものだと思います(人が真に迫る叫びは、演技では出来ないと思う)。

とにかくそれぐらい恐ろしいのです。


この映像は、本当の「火事の恐ろしさ」を教えてくれる貴重な映像。


それ故に、「生き抜く術」を教えてくれる映像でもあります。

人が生き抜く術、それは、それが「恐怖」であると“いち早く知ること”・“イメージ出来ること”

「人が逃げる時」とは、恐怖を感じた時でしょう。

災害に遭遇した時は、“逃げる”という選択が数秒遅れただけで“生”か“死”かが決まる。

その選択の速さは、その人自身の「恐怖」の感じ方次第で決まると思う。



“恐怖”を大きくイメージ出来る人は、いち早く危険を察知して、生きようと逃げることが出来る。

“恐怖”をイメージ出来ない人は、逃げ遅れてしまう。



「イメージ出来る人」、「イメージ出来ない人」の差は、この映像を見れば一目瞭然で分かる。


この映像の撮影者は、天井に炎が燃え移ったすぐ直後に出入り口の方へ移動をしている。

しかし、映像を見てみると燃え移った炎に見とれて逃げないでいる人もいる(それはかなり多い)。

炎は数秒で燃え広がり、瞬時に現場は大パニックになる。

そして、パニックによる二次災害を引き起こし、出口が塞がれる。
それは、本当にあっという間。

正に、数秒の差で生と死が分けられる瞬間。


恐怖をすぐにイメージ出来たからこそすぐに逃げれた撮影者。

恐怖をすぐにイメージ出来なかったからこそ逃げ遅れてしまった人。


本当に“数秒”の世界です。

その“数秒”の選択の違いで“生”か“死”かが正に決まる


私は、この映像を見ていなかったら、きっと“選択”が遅れてしまい悪い方向へ進んでいただろうと思う。

しかし、今は、すぐに「選択」が出来ると思う。

それは、自分の心にしっかりとした「恐怖のイメージ」を持つことが出来たから。



「恐怖をイメージすることが出来ること」とは、“災害”という数秒で生か死かが決まる世界で生き延びる為の最も大切な術なのです。




それを踏まえて考えるとこの現場を撮影したことは、大きな意味があると感じるのです。

この映像のお陰で、未来で遭遇する災害から命が助かる人がいるかもしれない。

この火事で死んでいった人たちの死を無駄にしない為にも、そこから学べるもの、「生きること」を学ばなければいけないと思う。

火の管理は然り、同じことが二度と起きないようにも。




映像を見ると凄く分かりますが、あの阿鼻叫喚とした正に地獄のような状況で、そして、目の前に身動きが取れず、燃えながら発狂している人々が居る中で冷静に居ることはおろか、ビデオカメラを向けて撮影が出来るであろうか・・・。

撮影者もあまりにもの惨劇を目の当たりにして、取り乱している様子がうかがえる場面もあるが、最後まで撮影をしている。

何を理由に撮影を行ったのか明確な理由は分からないが、撮影者の根性は凄いものだと感じる。



以下にyoutubeに掲載されているその火事の映像を載せますが、結構衝撃的な映像なので、見れないと思う人は見ない方が良いと思います。

人が燃えているというシーンは、遠くから撮影している時にしか分からないものなので、直接的に目の前で映しているという感じではありませんが、ご覧になる時は気を付けて下さい。



掲載しようか迷いましたが、私は、この映像で大きなことを学んだので、載せることに決めました。

死んだ100人の方達のご冥福を心からお祈りします。







「知る」ということは、“人が生きる上で”・“人生を生き抜く上で”最も大切な行為だと思います。

そして、“本当の恐怖を知る”ということは、最も大切なことなんだと感じました。


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自分を嫌うこととは
2011.01.24 Monday 17:58

齊藤ゾンビです。



前回の「自分を好きになることとは」で書こうと思っていたことなんですが、とても長くなってしまうということで書かないでいたことを書きます。

それは、「自分を嫌うこととは」です。

誰しも自分自身が嫌になってしまう時ってあると思います。

私も何度もあります。

しかし、それは、心理学的に詳しいことが書かれていました。

「自分を嫌うこと」その本質を知ると、前回の日記と同じですがポジティブな気持ちになれる感じがします。

「自分を嫌いにならない方法」それを今読んでいる心理学の本から抜粋して書こうと思います。





「電車に乗ってきた老婆を見て、寝たふりをする人たちは、本当は、心の中ではチクチク針が刺さっているはずである。

そして少しずつ、そんな自分自身を嫌いになっていってしまう。

しかも、そういう閉じた回避行動を重ねていると、だんだんと、人生そのものを大事に思えなくなったり、生きていることが虚しくなったりと、心労がたまりやすい体質になってしまうのだ。

 実際に、そうなってしまった20歳の男性を知っている。

彼は、電車に乗ってくる老人を見るとムカつく、とよく語っていた。

彼の行動にはいつも驚かされたものだ。

「いかにもさあ、席譲って〜、私年寄りなんだから〜、みたいな空気出すんだよね。年寄りはおとなしく家にいろっつ〜の。迷惑だよな。」

などと、こともあろうに電車の中で聞こえよがしに口にし、わざわざ荷物をドカッと置いて空席をふさいだりするのだ。

彼は一事が万事、他人に対して徹底的に意地が悪く、厳しい人であった。

 よく話せばとても人なつっこく、頭の回転も速く、私の荷物をさり気なく持ってくれるような親切心もあるのに、自分と関係のない他人のことだけには完全に「敵視」するという態度を示す。

人を敵視しながら、いつも心は空虚で寂しそう。

時折、自分が嫌いだと叫んではリストカットを繰り返し、「俺は最低だから、死んだほうがいいよね」と泣きじゃくる。

そんなことが幾度もあった。

 他人を敵視することは、こんなにも、巡りめぐって「自分自身を敵視する」ことに繋がるのだと痛感する。

他人を嫌うこと、他人をいじめることは、いつの間にか自分を深く傷つけることになるのだ。

だから、人に優しく関わるチャンスを無視したり、ないがしろにしたりすると、結局は自分が損をする。

いじめっこは、少しずつ自分を嫌いになり、人生が嫌いになる。

本人にとって損なのだ。

 本来は誰にでも備わっているはずの「人を助ける」という本能。

これを出し惜しんだり、他人を侮辱したりすることが、結局は「自分を愛せない人」にしてしまっている。」



「情けは人の為ならず」、それは、逆のパターンもあるんですね。

自分の心は、全て人とのかかわり合いの中から作り出されていくものだと凄く分かります。

その接し方次第で自分の心の在り方、そして、人生をも大きく形つくられていくんだなと思うと、人との接し合いの大切さが身に染みて感じますね。

大変な時でも、苦しい時でも、人に優しく出来る人こそ楽しい人生を歩んでいける秘訣なのかなと感じます。

でも、疲れている時に人のことを思いやるって難しいですよね。

でも、それがそうだと分かったなら何か頑張ってみようかなって気持にもなるような気がします。

皆さんも「情けは人の為ならず」方法を実践して素敵な人生を創っていってみてはどうでしょう。




「情けは人の為ならず」 人の為に尽くすこと、それが大切なことですが、では、動画「赤ずきんちゃんと健康」をご覧ください!!

シュールなお話ですが、赤ずきんちゃんが健康の為に頑張ってくれています(笑)!!

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「恐怖演出」そのポイントは人の「心」にあり
2010.10.18 Monday 19:54
 
齊藤ゾンビです。

以前、私が大好きなテレビ番組の爆笑問題の「爆笑問題のニッポンの教養」を見ていた時にとても興味深い内容のものがやっていました。


この番組は、爆笑問題のお二人が様々な専門の教授たちと対談し、討論するという番組なんですが、その時に対談していたのが、ロボット工学のパイオニア・三浦宏文さんという方でした。










 

三浦宏文さんは、人型ロボットの権威で「人間らしい動き」をする人型ロボットを作ってきた方です。

今から26年前、世界で初めて動的二足歩行ロボットを発表し世界を驚かし、その後、「けん玉ロボット」や「コマ回しロボット」などを次々と開発し人型ロボットの権威として学界を常にリードしてきた凄い方なのです。

そんな三浦さんが目指すのが鉄腕アトムのような「意思のあるロボット」だったそうです。

今まで人型ロボットに大きな可能性を信じてやってきた三浦さんでしたが、ある時、人型ロボット製作に限界を感じるようになります。

「しょせん人間のプログラム通りにしか動かない。」

「現在の科学をどう使ってもロボットに意志を持たせることは、まったく不可能。」

そんな行き詰っていた時に、三浦さんは自宅でエサにありつこうとする一匹のゴキブリと遭遇したそうです。

殺そうとソッと近くに近づくと冷蔵庫の下に逃げてしまう。

そして、「あっち行けよ!!俺はおいしいものを探しに行くんだ!!」」と言っているような目で冷蔵庫の下から触覚を出してこちらの様子を伺っているのを見たという。

その時、三浦さんの脳裏に「何かある!!」と思ったそうです。

そのゴキブリの姿に強い「意志」を感じ取ったそうです。

「昆虫には、意志がある」

そして、その後、昆虫のことを調べてみると、昆虫には意志を持っていないことが分かったそうです。

ゴキブリを見て、なぜ意志があったかのように見えたかというと、ゴキブリの尻尾には、空気流センサーがあり、あらゆる角度から空気が流れると全速力で走る筋肉が動くという設計になっているという。

ゴキブリは、人間が恐いから逃げるとかではなく、空気の流れを感じて逃げているだけであったのです。


そのメカニズムを知った三浦さんは、虫の驚くべくその仕組みに魅了され、それ以来、昆虫を規範にしたロボットを研究開発し、昆虫ロボットの可能性を追求し始めたそうです。

「昆虫は、シンプルにして、驚くほど効率的な体の仕組みで出来ている。」

虫を研究していくといろんな虫によって様々な効率的な仕組みになっていたことに驚いたという。

そのプロセスについて三浦さんは、こう語っています。

「虫の一番の魅力は、人間なんかに比べてずっと長い間生存してきていること。
ゴキブリなんて5億年も。
その環境の中で、種の保存の知恵が昆虫の中に埋め込まれていると思う。」

5億年の賜物ということですね。

虫の体には、正に5億年をかけて作りだされてきた圧倒的な設計図があるってことなんですよね。

そう考えると虫の体こそ最高のロボット工学におけるお手本=設計図と言えるべくものですよね。

そのことに気付いた三浦さんは、虫の構造を活かした様々な活用的なロボットを開発していき、また世界から大きく注目される存在になります。

三浦さんは、虫についてこう語っていました。


「動物で人類が今の最先端であるけど、昆虫も進化の最先端なんです。
もともとは、動物の系統術があって、進化の世界から見るとそれぞれの別の進化をしていった先端の人間と先端の節足動物なんです。」


「虫」こそ最高の技術っていうことなんですよね。




三浦さんは、その「虫の意志」から虫の最高峰の構造・技術を知り得て、ロボット技術に活かしてきた訳ですが、三浦さんが昔から目指してきたのは、鉄腕アトムのような「意志」を持ったロボット。

しかし、今の科学では「意志」を持ったロボットを作ることは、全く不可能ということだが、三浦さんが着目するのは、ゴキブリと遭遇した時に感じた「意志があるように“見えた”」という点。

それに気付いた三浦さんは、「意志」というものの見方が変わったそうです。

人間は、いろんなものを見たり感じたりし、その状況からいろいろと論理を考えて、自分が一番どうしたら良いのか(逃げるべきか進むべきか)を考えるのであってそれが「意志」と呼べるものであるんですが、昆虫にはその「意志」が無い。

昆虫にも一応脳細胞があるとのことですが、とても小さいそうです。

人間は140億、少なくて昆虫は1000ぐらいの脳細胞しかないどうです。


そんなにも脳細胞の差に大きな差があるにも拘わらず、なぜあんなに「意志」・「意識」があるように見えたのか?

それは、前述したように「意志」や「意識」を持っているように「見えた」だけに過ぎず、そう見える昆虫の体の作りの“メカニズム”に大きく着目出来ると三浦さんは言います。

例えば、

「蛾に関しても、蛾は触角で女性フェロモンを探知してそこに近づくという設計になっている。」

「アリが集団で動いているのは群知能という。
アリには、行列を作っているが、行列しろと命令するのもいないし、行列を作ろうとも思っていないと思う。
ただ、エサを探したら、行って帰ってくる間にフェロモンを残してくる。
そのフェロモンをついて行くという本能が与えられているからそのようになるのである。」

そういった体の“メカニズム”、又は、その生物の本能に“プログラミング”された動きに「意志」や「意識」があるように見えるだけなんだと三浦さんは語ります。



そう考えると「意志」や「意識」の定義や見方が変わってきて面白いですよね。

対談し、その話を聞いた爆笑問題の太田さんが、とても興味深い考えを話していました。


「人間は、何でも擬人化してしまうところがある。
意志を持っているかなんて自分にしか分からないこと。
最終的には、先生も意志を持っているのかも分からない。
自分が、勝手に意志を持っているんだとそう思い込んでいるだけなのかもしれない。
先生が機嫌が良いか悪いかも全部自分が勝手に思い込んでいるものにすぎない。
そうすると、昆虫には意志がある、人間には意志があるなんて考えることは、とても馬鹿馬鹿しいことに思えてくる。
全部一緒なんじゃないかな。」


とても面白い考えですよね!!

確かにそう考えたら「意志」というものは、存在しないのかもしれない。

要するに人間の「考えること」や「思うこと」も全て自然とそう思うように“プログラミング”されてきたものであり、それが「意志があるように見える」に過ぎないっていうことなんですよね。


又、太田さんは、こうも話していました。

「人間は、本能とは違うと思われるようなこと、自分の好きなことをするが(こうならこうした方が良いなど)、それは文明というものが作り上げられた設計のようなもの。
しかし、考えてみると、文明ですら最初からそのようなことをするように植えつけられた本能、その身勝手なことをすることも含め、全部それは本能っていう言い方も出来る。」


「本能」=「プログラムされたこと」ってことですよね。


私たちが思う「自分の心」というものは、実は自分の意志で「感じる」・「思う」ということではなく、今までの人生によって蓄積しプログラミングされてきた統計的な「選択」にしか過ぎないってことなんですよね。

要するに人の「性格」や「考え方」というのは、どんな人生を歩み、何を得てきたのか、そのデータによって最適な選択をするように過ぎないロボットみたいなものってことですよね。


爆笑問題の太田さんは、対談の最後にこんなことを話していました。

「鉄腕アトムだって読者が勝手に擬人化しているだけで、全部プログラムだとするのならば、その点で人間との違いが分からないのならば、御茶ノ水博士は、(意志のあるロボットを)作ったということで良いと思う。」


正にって思いましたね!!



あと、その対談でとても面白い会話をしていたので、その会話を載せます。


太田さん
「人間は好き勝手やりますよね。
昆虫や動物と違って、本能と違うように見えることを。
つまり動物的な本能と違うように。」

三浦さん
「考えてね。」

太田さん
「それが文明ですよね。」

三浦さん
「そうです。おっしゃる通り。文明、うん。」

太田さん
「で、その文明っていうことを思うんだけど、もうちょっと何て言うんだろう、遠くから眺めると、文明ですらその理屈で言うとですよ、最初からそういうことをするように植えつけられた本能。
要するにそういう身勝手な行動をすることも含め、戦争も含め、全部それは本能っていう言い方もできるんじゃないですか。」

三浦さん
「できると思う。
だから資本主義というのはそうじゃないですか。
みんな人間それぞれ一人ひとりが、自分がお金を儲けたい、お金を持ちたい、金持ちになりたいと思って、行動するような世界、社会にしておけば、その神の手“インビジブル・ハンド”という言葉がありますよね。
“インビジブル・ハンド”が働くから、社会として社会が保たれると。」



この対談は、本当に興味深く面白かったですね。




この対談を聞いて、いろいろと考え方が変わりましたね。

自分の「心」というのも疑わしく感じたりもしてきます。

「俺の意志は、本当に俺の意志なのか?」と…。

本当に「心」=「意志」というものが、ただのプログラミングに過ぎないことだとしたら、面白いものです。

又、考えようには、とてもポジティブにもなれる気がします。

要するに自分の「心」は、パソコンのようなプログラムに過ぎないということなら、「心」を変えることも出来るということですからね。

たとえば、嫌なことが続いて自分の心がダークサイドに偏ってしまったら、物事の考え方が何でもマイナスな方に偏ってしまうものですよね。

しかし、それは、嫌なことが続いたせいでのただのマイナスの「プログラミング」にすぎず、そんな自分の心もちょっとしたことで、プラスに変えられるってこと。

嫌なことが続いたからなら、「楽しいこと」・「幸せなこと」をたくさん取り込めば、心もプラスな方向に書き換えられる。

「心」というのは、ただそれだけのことだと思えば、何かポジティブになれるような気がしますよね。

それは、私だけかな。

人の「心」というのは、結構単純だったりするのかもしれませんね。



どんどん書き換え!!書き換え〜!!ですね。




話は、少しそれますが、私が作り出すお化け屋敷は、正に人に“プログラミング”された動き「こうきたら、こう動く」という様々な動きから計算された演出がたくさんあります。

それが、「SAITO∞REAL方式」の真骨頂って感じですね。

人の“動き”というのは、面白いことに本当決まっていて正に“プログラミング”されたもののように感じます。

又、人は、いろんな種類の「人」が居て、人によって行動が様々で違うものですが、その中にも「共通点」という決まったもの=“プログラミング”というものが存在すると私は感じます。

その蓄積された「人の動き」のデータが更なる演出を織り成していく訳なんですが、そのデータは、常に蓄積され更新されていくものです。

なので、演出のレベルも日々進化を遂げていっているってことなんですよね。

「人間のプログラム」、すなわち、それを熟知すればもっともっと凄いお化け屋敷が創れると感じる私であります。

可能性は、無限大ですね。


お化け屋敷は、本当奥が深いですよ!!


いつかは、そのデータを活かしてショーをプロデュースしたいですね!!
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変化の恐怖
2010.08.02 Monday 12:14
齊藤ゾンビです。

最近は、台湾も無事オープンし、浜松・台場怪奇学校のイベントも無事開始し、執筆も終盤をむかえ、大分落ち着いてきて余裕が出てきたゾンビです。



最近、ネットサーフィンをしていたら、久しぶりに恐い感覚に襲われた画像を見ました。

それは、なかやまきんに君の画像です。

なかやまきんに君は、知っている人もたくさん居ると思いますが、最近見かけないなって思っている方もいると思います。

きんに君は、2006年に筋肉留学をしにアメリカへ渡米し、いろんな勉強をしているそうです

きんに君は、ブログをやっていまして、2006年から画像付きでたくさん更新されています。

そして、今、そのブログでおかしなことが起きていてネット上では、いろんな方達が心配している状況になっているんです。

そのおかしなこととは、きんに君の変化です。

ブログには、留学した2006年からの日記があり画像もあります。

2006年のきんに君の画像↓





とても元気そうで、これからアメリカで頑張るぞって活気を感じられる画像です。

しかし、2008年の画像からきんに君の表情に大きな変化が表われました。

2008年のきんに君の画像↓





表情が全て死んでいるんです。

どの画像を見ても全て無表情で目が死んでいる画像しかありません。

そして、2010年



筋肉も小さくなり、表情もとても暗いです。

日本に帰ってきた時に芸人仲間と一緒に撮った写真もありますが、


芸人たちと一緒に撮っていても表情に元気がありません。

「なかやまきんに君に一体何があったと言うんだ」とネット上では、きんに君を心配する書き込みがたくさん書かれております。

又、ネットでは、このような記事がありました。

「お笑い芸人「なだぎ武」が7月6日(2010年)のブログで、
筋肉留学中のお笑い芸人「なかやまきんに君」との再会を報告している。

きんに君は現在、日本に帰国してテレビ番組の収録に参加している。
その現場で久しぶりに会ったなだぎは、「ん??」と思う。
というのは、彼の体の線がやけに細く、小さくなっていたからだ。

日本を離れてアメリカに旅立ったのは筋肉留学のはずだった。
それなのに、である。理由を聞くと、「アメリカは恐ろしいところだ」と言うのみ。
詳しいことはわからないが、最近はトレーニングをほとんどせずに毎日、勉強に
没頭しているという。

「振り返った背中も寂しげで、背筋も無くなり、オーラも消え失せていました…。
あれだけ拍手を欲しがっていた人間が、今はまるで同情を欲しているようだった…」

なだぎは、きんに君に日本に帰ってくることを勧めている。
そしてまた、パワー溢れるギャグを見せてほしい、と書いていた。」


「アメリカは恐ろしいところだ」と言うのみだったという言葉には、凄く恐怖を感じました。

きんに君がアメリカで経験した恐ろしいこととは何なんだ!?
人をここまで変えてしまうほどの恐怖って何だ!?

人の心は、とても脆いものだと思います。

タフな人もいるけれど、タフな人でも小さなことで、心が一気に崩壊してしまうことも必ずあるものだと思う。

人が何で崩壊してしまうのか分からないからこそ、人の言動って難しいものだよなって感じます。



話は、戻りますが、想像を超えた変化というのは、とても不安や混乱を生み、恐怖を感じるものだと思います。

「一体どうなっているんだ!?(汗)」

って予測や想像が追いつかない変化に遭遇すると混乱に似た恐怖を感じますよね。

それは、どういう心理からきているのか私には分かりませんが、とにかく大きな変化というものは、ものにもよりますが恐怖を与えますよね。

私は、きんに君の大きな変化に驚きと恐怖を感じました。



そんな恐怖をお化け屋敷でも活用したりしています。

普通の空間だったところを一つドアを開けるとドアの向こうは、阿鼻叫喚の空間が現れる。

普通な空間から一気におかしな空間になるその差が大きければ大きいほど、その衝撃は、大きなものであり、大きな恐怖を与えられるものだと思っています。



きんに君の話から最後は、お化け屋敷の話になりましたが、恐怖っていろんな恐怖があるものだよね。


それにしても、きんに君に素敵な笑顔が戻ってくることを願います。
きんに君は、好きな芸人の一人ですから。
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どのくらい怖いですか
2010.03.27 Saturday 19:50
平野幽霊です。



お化け屋敷で「どれくらい怖いですか?」

この問いについて考えてみる。

この問いをするお客さんにはさまざまな種類がいて、
怖いから入る人、怖くないなら入るという人。
怖いと入らない人もいれば、怖くないから入らない人もいる。

たとえば、映画について窓口で「面白いですか?」と聞くと窓口の人は困るのではないだろうか?
なぜ困るかというと、面白いといってみてもらって「つまらなかった」といわれても責任をとることは出来ないから。かといって、普通ですとかつまらないですよというわけにはいかない。
つまりわかりません、お客さん次第ですとしか答えようが無いのである。
またどんな話かをこまごまときかれても困るだろう。落ちを言うわけにもいかないし。
もしくは、客観的な数字で、○○ランキングで一位になりました、とか、当
館でナンバー1の人気ですとかなら言えるかもしれない。

そのまえに、”面白い”映画では、ないかもしれない、怖いかも、感心するかも、感動するかも、退屈かもしれない。それに質問者がどう感じるかなど超能力者でもない限りわからない。なのに聞いてくる・・・。

お化け屋敷も同様に難しいのである。
そもそもお化け屋敷を、怖いか怖くないかだけで語れるのだろうか?

そういう意味で、お笑いも面白いかどうかだけで判断されるんじゃないかと思う。
そこを悩んでいる人もいるかもしれないな、なんて思った土曜の午後でした。

とにかく数字であらわせないものを売るというのは大変だなあ。


★ヒラジオ更新!テーマは「エレベーター」です。
ヒラジオ(毎週5分でもいいから意地でも更新中)

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最後の救い
2009.12.31 Thursday 06:49
齊藤ゾンビです。


人が、全てを失って、心も折れて、夢も希望も何もかも失ってしまった時にその人を最後の最後に救うものとは、なんであろうか?

それは、傷心しきっているその人を気遣ってくれる身近な人間かもしれない。

しかし、世の中には、そんな人間も傍にいない人もいる、又は、求めない人もいる。

それは、きっと誰しも経験があるかもしれない。

その時、その人を救ってくれるものとは、何なのであろう?


それは、「過去の記憶」なのかもしれない。

過去の楽しかった時の記憶。

現実や未来にすがるものが何もないからこそ過去の記憶が必要となってくる。


記憶は、その人の心の中でずっと存在し続けているもの。

目をつぶって思い出す。

傍目から見たら、ただ目をつぶっているだけに見えるかもしれない。

しかし、その人にとっては、正に記憶を思い出している瞬間であり、その人が過去の世界を生きている瞬間でもある。

現実とは、決して目に見える世界だけではないと私は思っています。


少しの間でも過去の時間を生きるだけで、少しの元気や希望を見いだせたりできる。

現実ばかり見ていても何も見えない時もある。

人が本当にダメになった時は、「記憶」だけが救いとなってくれる。



「記憶」とは、不思議なもの。

あるアニメでこんなセリフがあります。

「音楽とか映画とかってその中身がっていうよりもその時の記憶っていうかさその時の人と人との関係を思い出すことが多いだろ。
つまり記憶というものは、決してそれ単体で存在せず、それを取り巻く環境に支配されているというわけだ。」

私は、このセリフを聞いた時、面白いなって思いました。

本当に覚えている記憶というのが、「取り巻く環境」=「その時の人と人とのぶつかり合う感情」だったからです。

人が忘れないことは、その時その時の感情。

「嬉しい」や「悲しい」や「怒り」…。

「嬉しい」想い出は、ずっと記憶に残るでしょう。

そして、その記憶が、未来の自分の糧となる。


話は、少し変わってしまうのですが、私は、毎日「出会い」と「別れ」をしています。

「出会い」とは、その日に出会った人やその日に掛けられた言葉や感情。

そして、「別れ」は、その日に出会った人とその日に掛けられた言葉や感情。

私は、全ての出会いには、すぐに心の中で別れをします。

なぜなら、永遠に続くものとは、滅多にないものだからです。

今日、出会った人とは、もう会わないかもしれない。

今日、掛けられた言葉や感情は、今日だけのものかもしれない、それとも来週までのものかもしれない、それとも1年後までのものかもしれない…。

人とは、変わっていくもの。

それは、考えが変わっていくということだったり、又は、忘れてしまうという「変わる」という意味でもあったり。

永遠に続くものは、本当にない。

それは、とても悲しいことですが。


だから、私は、その時その時の瞬間を大事にしています。

よーく見つめるようにしています。

忘れないようにしています。

又、その瞬間が楽しいものであればあるほどその瞬間・その時を大事に記憶しておくようにしています。

もう来ないかもしれないその瞬間を。


そして、鮮明に残した楽しかった時の「記憶」は、未来の自分の糧になる。


「記憶」は、一生の宝であり、糧。


[記憶]とは、唯一一生変わらない故に、人にとっての最後の救いと言えるかもしれない。
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良い恋愛の条件
2009.11.11 Wednesday 12:13
齊藤ゾンビです。


世の中には、「恋愛」がうまくいかないと思っている人って凄く多いと思います。

私は、恋人を作ったことがないので、恋人との関係についてあまり考えたこともありませんが、たまに考えることもあります。

何も知らない分際ですが、友人からは、恋愛の相談をたまに受けたりします。

その時、自分なりの知識と解釈でいろいろと話したりしますが、ほとんどの相談の内容が、男性側に問題があったものだったと思います。



恋愛の本質は、実際に恋愛をしてみないと分からないことだと思いますが、私は、世の中の多くの人が恋愛でがうまくいかない原因として思うことが一つあります。

そして、良い恋愛をする上で最も大切なことは、これかなと思うことがあります。

それは、「お互いに努力すること」です。

その努力というのは、過去の日記にも書いたことですが、「思いやりを忘れない努力」のことです。


男性と女性は、脳の構造が少し違うことからも言えるように、物事の考え方が違います。

私的考えですが、女性というのは、平均的にとても優しい心を持っていて好きな人には「一途」で尽くすという人が、ほとんどではないかと感じます。

そして、その一途な想いは、何年経っても衰えることがほとんどないと思います。




その反対に男性というのは、自分勝手な生き物だと思います。

最初は、思いやりを大きく注いで優しく接するが、付き合いが長くなってくると思いやりも薄くなり自分勝手を振舞ってくると感じます。

いわゆる「マンネリ化」ってやつですかね。

そのような男性の態度は、今も昔も同じだったと思います。

昔の日本の夫婦の形というのは、「女性が男性の一歩後ろを歩き、男性を立てる」というのが、夫婦の形だったと思います。

夫はいつも自分勝手な行動をし、妻はそれを一歩下がったところから見守る。

時折見せる夫の愛情表現。

妻は、いつも苦労をするが、でも、一途でどこまでもついていく。


昔の家庭を描いたドラマや映画の風景とは、このような感じだったと思います。



妻は、いつも夫の自分勝手を見過ごし静かに見守る。

いわば、女性は、ずっと我慢ってことですよね。




あるテレビ番組で何十年も夫婦円満だという夫婦に円満の秘訣をインタビューして聞いていた番組を過去に何回か(違う番組でも)見たことがあります。

私は、とても興味深くその回答を見ました。

そして、夫婦円満の夫婦には、共通した回答がありました。

それは、妻側が答えた回答なんですが、その回答とは、

「我慢」と「すぐ忘れること」

とおっしゃっていました。

妻がそう答えた時の夫の反応は、皆「えっ!!そうなの…」って感じでした(笑)。

夫は、いつも自分勝手な言動をするが、それにいちいち反抗していたら、らちがあかないということを経験から学び、夫の言動を「我慢」し、ストレス・怒りを「すぐに忘れること」が、争いも起こらず円満に日々過ごしていけることだと気づきそうしているんだとおっしゃっていました。

正に、昔の夫婦の形ですよね。


要するに、男性は根本的に自分勝手な生き物だから、それに合わせないとやっていけないということなんですよね。

女性は、男性にくらべて精神的に強いと言われていますが、その精神的な強さがあるから「我慢」ができるんでしょうね。

又、酷いことですが、昔は「男尊女卑」という言葉もあったぐらい女性差別がありました。

その環境からも家庭での夫婦の関係のあり方にも大きく影響があったのかなと思ったりします。

「妻は、夫の一歩後ろを歩く」っていう考えがあったように。

しかし、今は、法律もしっかりとして、女性差別というのが無くなりました。

昔と今とでは、女性の環境が大きく変わりました。

女性の大きな環境の変化に伴い、女性の考え方や心にも大きな変化が出てきたと言えます。

それは、普通に考えて、男女の扱いが平等になったことによって、「女性は、男性の一歩後ろを歩く」という考え方が「女性と男性は、横一列になって歩く」という風に意識が変わったんじゃないかなと思います。


しかし、男性側には大きな変化はなく、昔同様に「自分勝手」というものが受け継がれていると思います。


そうすると、「一歩下がって歩く」という考え方が出来ない女性は、男性との愛の形が合わないと感じます。


1960年からの集計しかありませんが、実際に1960年〜2006年までの離婚件数の統計グラフは、右肩上りになっています。



一概には、そういうことだとは言えませんが、経済的不況も関係しているのかもしれません。

夫婦円満だとインタビューで答え、「我慢」と「すぐに忘れること」と答えていた夫婦は、皆、熟年夫婦でした。

今と昔は、違うんですね。



なので、今の恋愛は、「女性が一歩下がる」恋愛ではなく「平等の恋愛」ですから、男性は自分勝手を抑え、女性に対し「思いやり」を持つことが何よりも大事なんだと感じました。

女性に「我慢」をさせてはいけない。

簡単のようで男性にとっては、難しいことなんだろうね。

もちろん女性側も「思いやり」を持たなくては、意味がないことですよね。

お互い「思いやりを忘れない努力」は、「良い恋愛の条件」かなとふと思った今日このごろです。


と言っている私は、男性ですが、私もそういう時は、ちゃんと出来るのかな。


そういえば、最近、「草食男子」という恋愛に無気力な男性が多くなってきたと言われていますよね。

「自分勝手」を言わなそうですが、恋愛に積極的でないのは、一生やっていく上では、きついかもしれませんよね。

何でも「程よい」のが良いんですよね。

でも、その「程よい」が難しいんでしょうね。




そういえば、結構前ですが、あるテレビ番組で俳優の的場浩司さんが話していたある話があります。


「俺は、娘に絶対に嫌われたくない。

娘が大きくなってもいつまでも大好きと言われる父親になりたい。

だから俺は、親子(娘)仲が良いいろんな知人にどうやったらそんなにいつまでも仲良くやっていけるのかその秘訣を聞いてるんです。

みんな分からないって言うんですが、でも、一つだけ共通していることがあったんです。

それは、家の中でパンツ一枚でウロウロしないということです。

それ以来俺は、家の中でパンツ一枚でウロウロしないようにしています。」


娘に嫌われたくない為にパンツ一枚になりたい願望を抑え、それをずっと実践しているのは、娘に対しての凄い「思いやり」だなと感じますね。



この話は、何か凄く印象に残っていて覚えている話です。


小さなことですが、「思いやり」ってこういうことなのかな。


最後にあともう一つ的場さんの話を書こうと思います。

的場さんは、家での掃除・洗濯は、全て自分でやるそうです。

それは、なぜなんですか? と尋ねられた時にこう答えたそうです。

「子供の成長が感じられるから。」


本当我が子が大好きなんだなと深い愛情を感じましたね。

素敵過ぎる!!
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「生きる」方程式
2009.11.08 Sunday 08:19
齊藤ゾンビです。



[生きている実感]。

それは、[誰かに想われていること]だと私は思います。

逆に[死]とは、誰からも想われることなく、そして、誰の記憶にも忘れ去られた瞬間のことだと思います。

肉体的な[死]が訪れても、誰かの心にその人の想いがずっと存在し続けていたら、その人の世界で生き続けているものだと感じます。

だから、エルビス=プレスリーや芥川龍之介、松田優作、彼らは、死んでからもう何年も何十年も経つのに死んでいるように感じない。



いつまでも想い続けられているからね。

消えないんだよね。


しかし、逆に全ての人達から忘れ去られてしまったら、想われなくなってしまったら、それは本当に[無]であり[死]なんだと感じます。

又、それを[孤独]と言うんだと思う。



生きているのに自分の存在が[無]になるのは、きっと一番恐怖なことだと思う。

それは、[死]と同じだからね。



犯罪を犯した人が、その動機に[注目されたかったから]という言葉をよく耳にします。

それは、裏を返せば[自分の存在を知って欲しかった・確かめたかった]と言っているように感じる。



子供は、親の愛情を感じられなくなると親の気を引こうと悪いことをしようとしてしまう(それが非行と呼ばれるもの)。



近年増加している自殺者の数。

最も多い年齢層は、高齢者と言われている。

そして、高齢者の自殺の動機には[孤独感]というものが多いそうです。




又、過去にある学生がある実験をしていた映像をテレビで観ました。

それは、[孤独]を体験する実験。

その実験とは、×印の書かれたマスクを口に付け、被験者がやめたいと思う時までずっと誰とも口を聞かないというもの。

それは、学校でも家でもどこでも。

ずっと沈黙するんです。

最初の数日は、周りの人達が物珍しそうに近付いてきたりするのですが、それをずっと無視し続けると周りの人達は、一切関心を寄せなくなってくるのです。

そして、無関心から何日か経つと、まるで本人が空気になったかのように被験者の存在を周りの人達は、一切気にしなくなります(無視)。

その時、とてつもない[孤独感]を体験できるという訳です。

テレビで観たその被験者の方は、途中で[孤独感]という苦痛に耐え切れなくなり、精神的におかしくなり泣き出してしまい終了しました。

「[孤独]というものが、こんなに辛いものだったとは、思わなかった。
こんな経験は、もう二度と味わいたくない。]

と言っていたのを覚えています。




[想われていないこと]は、とても怖くて苦しくて辛くて人をおかしくさせてしまう。

誰からも想われていない、孤独という世界は、大きな不安と恐怖で渦巻き、それはまるで[死の世界]。

[無]=[死]。

人は、そこから必死に生きようと・脱出しようともがき、そして、何かを見失ってしまう。

それが、犯罪であったり自殺であったり。



人は、必死に人に想われようと頑張っている。




それを逆に考えたら、人に[生命力]を与えることとは、その人のことを[想ってあげる]ことだと考えられる。


誰にでも辛い経験があって「死にたい」って思った瞬間があると思います。

でも、そんな時って誰かが慰めてくれたり、心配してくれたりして、それで立ち直った人ってみんな経験あると思います。

それってきっと[掛けてくれた言葉]や[接し方]が良かったからとかではなく、[想ってくれている]というその気持ちが立ち直らせた力=[生命力]なんだと感じます。

[人を想うこと]は[愛]であり、「愛」は[幸せ]を喚起させ、「幸せ」は[生命力]へとつながる。



想ってくれているだけで人は、幸せ。



親は、子を凄く想う(愛する)。



恋人同士は、お互いのことを凄く想う(愛する)。



凄く[想われている(愛されている)]時って、とても幸せを感じますよね。


その[幸せ]が[もっと生きたい]って思わせる動機にさせて[生命力]につながっていくんだと私は思います。




私は、昔から
[人は何の為に生きている(生まれてきた)んだろう?]
ってよく考えたものです。

子供の頃からいろいろと考えて辿り着いたのは、[意味など無く、ただ生まれてきただけ]ということでした。

意味なんか無い。

だから、生まれてきた私達人間にとって一番大切なことは、[生きたいと思う気持ち]なんだと思う。


[生きたいと思う気持ち]は、[幸せだと感じる気持ち]。


[幸せだと感じる気持ち]は、[人から想われている(愛されている)と感じる気持ち]。



[想う(愛)]×[想う(愛)]=[幸せ(生命力)]



これが、全ての人における[生きる]方程式なのかなぁ。



しかし、自分自身に[想う]相手がいなければ、又、[想う]相手が何も反応を示してくれなければ、それは、[=不幸(死)]になってしまう。


[想う(愛)]×[想う(愛)]=[幸せ(生命力)]


[生きる]方程式のどちらか[想う(愛)]の部分に[孤独]というものが入ってしまうと、それは[死]の方程式になってしまう。


[孤独]とは、全てを[=0]へと誘ってしまう[0(無)]死神カードなんだ。




[愛する]という言葉の反対語は、何でしょう?

それは、[嫌う]ではありません。

辞書に書かれているのは、[無関心]という言葉でした。
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「偽」からの再スタート
2009.09.09 Wednesday 01:26
齊藤ゾンビです。



「偽」という漢字って、何か嫌なイメージがあると思います。

悪いニュースでよく見かけられる漢字ですからね。

でも、この「偽」という漢字をよく見てみると「人」の「為」と書かれていますよね。

人の為は、「偽」から始まるということにも見て取れます。

本当の漢字の意味は、[「人」が「為す(なす)」ものは、「偽」]という意味なんです。
人が作り出すものは、人工的なものであって「自然」なものではないよって言う意味なんです。

でも、私は、前述の[「偽」は、「人」の「為」]という意味は、本当の意味では無いけれど、深く人間というものを捉えているものだと感じます。

人間って心から人の為にと思って善いことをする・出来る人って凄く少数だと思います。


人の為になるようなことは、必ず自分自身の何かを犠牲にしないといけません。

それは、「時間」であったり、「体力」であったり、「精神的」なものであったり、「我欲」であったり、何かを。

ほとんどの人は、人の為になるようなことをする時は、必ずその犠牲による葛藤というものを抱くと思います。

「あぁ〜、どうしよう?」って。

そんな本心を押し殺して自分の本心を「偽ったもの」=「親切」が、結果的に[「人」の「為」]にとつながっていくんだと私は思います。

そして、「偽」の自分を何度も繰り返していくうちにそれが当たり前になっていき、いつかは「人」の「為」にやっているという意識が無くなり、「偽」という漢字から「人」という字が消え、「為る(なる)」という風になるんだと思います。

そういう人間に「為った」ということになるのかな。



私は、良い人間関係を築いていくのに一番大切なことは、「思いやり」の気持ちだと思っています。

「思いやり」を辞書で調べると「他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。」と出ます。

相手の心を常に気に掛けることは、とても大切なことですよね。

時に、人は、自分の我欲の為に他人に迷惑を掛けてでも求めようとするものだと思います。

それが、「自分勝手の行為=思いやりの欠如」であり、又、その思いやりの欠如は親しい関係であればあるほど大きくなりがちだと思います。

良い関係を築いていくには、とても努力がいります。

それは、「思いやりを忘れない努力」。

「自分勝手な自分」=本心を抑制して、「偽」の自分で接し続ける努力が必要なんですよね。

「偽の心なんて、その人自身じゃない」なんて思う人もいるかもしれませんが、人の心というのは、努力すれば変わるものです。

「偽」の心は、慣れとともに「人の為に」という考えが消え、その人自身の心に「為る」んですよね。



私は、今までにいろんなドキュメンタリー番組で、心が入れ変わった人たちをたくさん見てきました。

やっぱりそういう人たちって自分を変えようと「(悪く染まった)本心」を一生懸命に隠して・偽って努力をしてる姿があるんですよね。

正に、そういう人たちの「偽」の「人」の部分は、「自分自身(人)の為に」という意味なんですよね。

私は、人間関係でも、自分自身でも、良い方向にさせるのには、偽る努力が必要だと思っています。

最初は、「人の為に」、そして、それが当たり前に「為る」ために。



一度は、感じたことがあると思います。
自分自身に嫌気をさしたことが。

そんな時は、目標・モデルとなる人物を見つけると良いと感じます。

目標となる人物を見つけると努力しやすいですよね。

「私は、この人のように為りたい」

一つの目標・モデルを見つけて、そこから本来の自分を捨てて「偽って」、理想の自分に為っていくんですよね。



そんなことを最近ふと思った今日この頃です。




そんな私は、子供の時から「映画に出てくる主人公のようなカッコイイ人になりたい」とずっと思ってきました。

そして、子供の頃から、映画からいろんなことを知ろうとたくさん観てきました。



今は、映画に出てきそうな素敵な家庭のお父さんになるのが憧れです(全部映画だ(笑))。

とても漠然的ですが、幸せな家庭は、自分にとって、家族にとって「最高の幸せ」ですよね。
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世界を動かす「死」の力
2009.07.17 Friday 04:07
齊藤ゾンビです。

この日記は、とにかく凄く長いです。

私が感じた一人の人間の「死」によって世界が動く・変革しようとしているこの現象を書かずには・伝えずにはいられませんでした。

全てを伝えるには、これぐらいの文章が必要かなと。

とにかく、この時代を生きてて良かったって凄く感じました。

「世界を動かす「死」の力」全部呼んだらきっとその意味が分かるかなと思います。

とにかく凄い!!!

そして、世の中、恐〜、ホラーだよ!!!






先日、マイケル・ジャクソンさんがお亡くなりになってしまいましたね。

私は、幼い頃、ディズニーランドの「キャプテンEO」を見てからの大ファンでした。

ダンスは超かっこいいし、歌も超最高だし、本当に超大好きでした。

マイケル・ジャクソンさんだけは、別格でしたね。

私は、歌を歌いダンスを踊るマイケルさんを知っててもそれ以外のマイケルさんの素顔は、全然知りませんでした。

マイケルさんがお亡くなりになってから、マイケルさんの追悼スレや日記がたくさん立ち、みんなマイケルさんに対してどんな思いを書いているのかなと気になっていろんなスレや日記などいろいろ読んでみました。

そしたら、もう驚きの連続です!!!

ああぁぁ〜〜驚いた!!!

マイケル・ジャクソンさんの真の姿を知って、本当驚きました!!

否、驚きを通り越して感動して、そして、それを今に至るまで知らなかったことにとても悔しく悲しくも感じました。

マイケルさんが亡くなった時は、初めて身内以外の方で喪失感と悲しみを感じましたが、真実を知った今、更に喪失感と悲しみを感じています。

多くの方達が言っていますが、世界は本当に大切な存在を失ってしまったんだなと心から感じました。

そして、一緒の時代を生きていたことに凄く嬉しさを感じました。

マイケル・ジャクソ〜〜〜ン(泣)。



私が知ったことは、マイケルさんの世界平和を心から願い、そして、それを実現させようと自分の可能性をフルに活かし、又、人生全てを賭けてきていた姿です。

マイケルさんは、ずっとずっとライブ活動やプライベートで訪れたさまざまな国の病院や児童福祉施設などに足を運び、重い病や貧困に苦しむ子供達に会っては、励ましたり勇気付けたりしてたそうです。

東京公演の際に訪れた時にも都内の施設に赴いたそうです。

マイケルさんが施設に赴いている時の映像があります↓

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7463588




その他にも難病や孤児など不幸を抱える子供達をマイケルさん宅にある遊園地「ネバーランド」に招待したりなどもしていました。

「ネバーランド」は、マイケルさんの趣味で作ったというのもありますが、普段遊園地に行けない子供達(孤児や難病)に安心して楽しんでもらえる為に作られたものでもあります。

世界中には、病気や様々な問題によって遊園地や動物園にも行けず子供らしい経験が出来ずに生活をしている子供達がたくさん居ます。

マイケルさんは、そんな子供達の為に「ネバーランド」を作り、様々な問題を抱えた子供達を招待し楽しませていました。

そのマイケルさんの思いは、暗い子供時代を過ごしたマイケルさん本人の体験からきているもので、「全ての子供たちには、子供らしい時間を過ごして欲しい」という願いが込められています。

(マイケルさんの暗い子供時代の話は、文章後半に書いてあります。)

ネバーランドの中には、遊園地や動物園・映画館・プールなど、子供が喜ぶものがほとんど揃っています。

マイケルさんは、正に夢のような国「ネバーランド」で多くの子供達を招待して、みんなと遊んでいました。

時には、マイケルさんが、子守唄を歌ってあげたり、本を読んであげたりしていたそうです。

マイケルさんは、子供達が喜ぶ姿を見るのが、一番の幸せだったそうです。

又、みんなと遊ぶのも。

以下の動画は、マイケルさんがネバーランドで子供達と遊んでいる姿を捉えたホームビデオの映像です。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7496816

子供達と遊び回るマイケルさんの姿は、本当に子供のようです。




「ネバーランド」もそうですが、その他にもマイケルさんは、世界中の子供達・貧しい人達・過酷な環境に居る人達の為に慈善活動に尽力を尽くしてきました。

その思いは、いかにして誕生したものなのか?

それは、マイケルさんが幼い頃にさかのぼります。

ジャクソン5としてデビューする前、まだ貧しい生活を送っていた頃、テレビで見たアフリカの貧しい人たちの顔に無数のハエがたかっているアフリカの人々達の姿見て涙を流しながらこう言ったそうです。

「いつか自分が助けてあげたい。」

子供心にもその衝撃と悲しみは、大きなものだったに違いありません。

そして、その時に抱いた気持ちを人生を賭けて実行してきたんですね。


又、マイケルさんが、「HEAL THE WORLD」という曲を発表した際に話した言葉があります↓。


「子供達は無邪気な笑顔の中に、誰もが神聖である事を教えてくれます。
子供達は命の尊さを教えてくれます。
特に、憎しみや偏見や悲しみを知らない若い命の大切さを…。
世界が混乱し、複雑な問題を抱えてる今、私達は以前にも増して、子供達を必要としています。
世界を救うために私に課せられた使命は、全てを癒す事です。
まず、子供達を救う事から始めなければいけません。
彼らは私達にどのように生きるべきかを教えてくれます。
子供達の善良に嘘偽りはありません。
私達は傷ついた地球を救わなければなりません。
私はこの曲を全世界の人々のために書きました。
地球に調和をもたらすために…。」


子供と接すると、誰もが癒されるものだと思います。

それは、子供の持つ純粋な心=優しさにあるんだと私は思います。

しかし、大人になると様々な知識を得ます。

そうすると人間ていうのは、損得を考えた打算的な考え・心を持つようになってきます。

人間の悪い考えや行いは、全て打算的な心から生まれるもので、そこから「優しさ」というものが失われていくものだと私は思います。

だから、子供のような純粋な心が大人には必要であり、だから「彼ら(子供達)は私達にどのように生きるべきかを教えてくれます。」と語っているんだと感じます。

マイケルさんは、本当の意味で「子供」の大切さ知っていて、故に、子供を大切に大切に思ってきていたんだと感じます。


(2002年11月19日、宿泊していたベルリン市内のホテル4階のバルコニーで、窓から生後数ヶ月になる自身の息子を外側のファンに見せようと手すりの辺りでブラブラとさせた出来事がありましたが、その時のことをマイケルさんは、

「弁解はしません。
私は大きな過ちを犯しました。
(あの時)とても興奮していました。
私は自分の子供たちを故意に危険にさらすようなことは、絶対にしません」
と謝罪しました。

マイケルさんも人間だっていうことですよね)




マイケルさんが、これまでに行ってきた活動は、一言では、言い表せないほどのものです。

その功績は、ノーベル平和賞に2回ノミネートという実績が物語っています。


しかし、彼の活動とは裏腹にメディアが伝えるマイケルさんへのイメージは、とても酷いものでした。

その報道のほとんどが、真実の無いものばかりです。


未だに報道されている肌の色の問題もそうです。

報道では、白い肌になりたくて整形手術や薬などを使って漂白していると言われていますが、そのような事実はどこにも無く、現代医学では、あそこまで肌の色を変えることなど不可能と言われています。

マイケルさんの肌の色が白くなっている本当の理由は、「尋常性白斑」という皮膚病を患っていたのが原因です。

この病気は、肌の色素が徐々に失われていく病気で、肌の色がどんどん白くなっていくというもの。


(「尋常性白斑」を患った少女の画像です。この画像の少女は同一人物です。)

マイケルさんは、肌の色むらを防ぐ為に大きな努力をしてきました。
又、奇行と見られたマスクや長袖・サングラスを身に付け体を隠していたのは、病気によって紫外線から体を守らなければならなかった為でした。

しかし、世界中のメディアは、この真実を伝えずに、ずっと「整形手術」だの「変人」だのと伝えてきました。

イメージの悪いことをずっと報道していました。

では、ただ単にメディアが、マイケルさんの真実を知らなかったからなのか?

マイケルさんが、病気のことを隠していたの?

それは、違います。

マイケルさんは、ある番組のインタビューでもそのことを話しています(それが↓の動画です)。

http://www.youtube.com/watch?v=5QqRZpgzWtM&eurl=http%3A%2F%2Fmixi%2Ejp%2Fview%5Fdiary%2Epl%3Fid%3D1217131854%26owner%5Fid%3D6270398&feature=player_embedded

マイケルさんは、このインタビューの中で「ありのままの自分を嫌っているというのは悲しい噂だ」と語っています。

本当に悲しい。

そして、報道を信じていた自分自身が悲しい・・・。


又、マイケルさんの肌の色素がどんどん失われていっているのをまとめた動画もあります↓

http://www.youtube.com/watch?v=15TSEKXXIvI&eurl=http%3A%2F%2Fmixi%2Ejp%2Fview%5Fbbs%2Epl%3Fpage%3D2%26comm%5Fid%3D4381168%26id%3D44035796&feature=player_embedded

真実を語っているにも関わらず、ちっとも報道されません。

又、2003年に起こった小児性的虐待疑惑による裁判の時には、肌が白い件に関して警察が公式に病気であると認めています。

それでも、肌が白いのは整形だとメディアは、伝えています。

なぜなんでしょうか?

不思議です。

担当弁護士だった方もおっしゃっています。

「2、3回整形した人間なんていくらでもいるのに何で彼だけ責めれるんだ?
彼は深刻な皮膚の病だったんだ。
この障害で彼は顔にメイクをしていた。
この事がニュースになったり叩かれる元になっている。
彼は賞賛されるべき人間なのに打ちのめされている。
メディアやタブロイドが面白おかしく扱うんだ…」


ちなみに、鼻の整形は、1979年のステージの床に鼻をぶつけ骨折するという事故に遭い、この事故の為手術せざるを得ない状況になってしまったそうです。

その後、何度も鼻の整形をしていますが、整形手術には、程度にもよるそうですがメンテナンスを必要とする場合があるそうで、その為、何度も手術を行っていたと言われています。

又、子供時代の父親による虐待が原因で「身体醜形障害」という自分の身体が醜く感じてしまう病に侵されていた為整形を繰り返していたとも言われています。

メンテナンスによるものだという意見が一番濃厚だと言われています。



肌のことについての報道もそうですが、マイケルさんに対してのバッシングは、他にもありました。

小児性的虐待疑惑です。

1993年、13歳の少年が自分の父親(ビバリーヒルズの歯科医)によってマイケルを告発されたことがあります。

この裁判では、示談で幕を閉じました。

マイケルさんへの性的虐待の疑惑が増すなか、マイケルさんは、一切示談で解決した内容をマスコミに話しませんでした。

そして、その少年は、マイケル死去の日に真実を告白しました。

嘘をついていた事を亡きマイケルに謝罪したのだ。

「I lied for my father, I’m sorry Michael ! 」

http://techwoo.com/i-lied-for-my-father-i%E2%80%99m-sorry-michael-jordan-chandler/
http://www.youtube.com/watch?v=6q2XvNraqKM

きっとマイケルさんは、この少年の将来のことを考えて自分のイメージを引き換えに守ってきていたんだなと私は感じました。



又、2005年にも小児性的虐待疑惑で提訴されました。

訴えを起こした子供は、ギャビン君という子供です。

ギャビン君は、体が癌に侵され余命わずかと宣告された子供です。

深刻な状況を知ったマイケルは、その子供の治療費を負担し、心のケアまで行っていました。

その結果、ギャビン君の容態は、奇跡的に回復し、難病を克服することが出来ました。

そんな矢先の提訴です。

結果的には、無罪という判決で冤罪であったことが判明しました。

又、ギャビン君は、親しい教師に性的虐待を受けていたことについて嘘を言っていたことを告白していたそうです。

命の恩人であるマイケルさんに対して、なぜそんな嘘を付いてしまったのか?

その影には、犯罪暦のある母親が大きく関係していたそうです。

ギャビン君の母親は、いろんな有名人に近づいては、いろんな理由に付けこんでお金を巻き上げていたらしく、その被害に遭った有名人は、多いそうです。

マイケルさんもある有名人の方から「あの家族とは関わらない方がいい」と忠告されていたようですが、心の優しいマイケルさんには、無視が出来なかったんでしょうか。

問題を引き起こされた過去の有名人達は、示談で解決していたようですが、マイケルさんは、示談で解決させなかったことで大騒ぎになってしまったそうです。

マイケルさんの裁判が無罪となり終わった後、母親は、経済状態を偽って1万9000ドルの生活保護手当をだまし取ったり、オーストラリアの福祉団体に詐欺罪で起訴されて有罪となっています。

優しさに付けこんでお金をむしり取ろうとするなんて本当悲しい。

(マイケルさんは、2003年までに金銭目的で訴えられた案件は1500回に上っていたそうです。
2004年には1年だけで約130人が訴訟を起こしたそうです。)



報道の仕方にも問題があったと思いますが、全てが冤罪だったにもかかわらず、この出来事を境にマイケルさんに対する世間のイメージは、悪いものへとなっていきました。

未だにマイケルさんが変人だと思っている方は多いと思います。

又、この裁判沙汰をキッカケに、メディアは、良い記事よりが、悪い記事の方が面白いということなのか、ありもしない事実(憶測)をどんどん書き、マイケルさんのイメージを落としていきます。

これらのことについて2003年に行われた「60ミニッツ」という番組でのインタビューでマイケルさんは、以下のように語っています。

又、このインタビューでギャビン君と過ごした日々のことや「ネバーランド」のことを話しています。

そして、メディアのことや警察から受けた酷い虐待のことなども話されています。

これは、本当に酷いです。




http://moonwalker.jp/interview/03_60minutes.html (インタビューを翻訳したものです。文章のみ)

http://www.youtube.com/watch?v=wQwY4ll1Kfc(インタビューの動画)



このインタビューの内容を聞くと、どれほどの苦しみを当時受けていたのだろうかと悲しくなります。

性的虐待など一切していないのに、ってか、子供を誰よりも大切に思っていた人なのに、世界の子供たちを救おうとずっと努力をしてきた人なのに、酷過ぎる。

マイケルさんが過ごしてきた人生は、修羅場の、否、地獄のような辛い毎日だったのであろうと感じます。

世の中全てが敵に回るなんて想像も出来ない。

普通だったら人間不信になり心身ともに崩壊し、生きる希望も失ってしまうだろうな。

それでも、マイケルさんは、慈善活動を積極的に行い、ライブ活動も元気な姿で頑張り、世界中の人たちに夢や希望・元気を与え続けていました。

本当に凄い精神力であり、偉大な人だったんだなと感じます。


マイケルさんがインタビューでおっしゃっていました「Childhood(子供時代)」という曲は、マイケルさんが自分自身のこと・気持ち・嘆きをストレートに綴った曲です。

この曲を聴く前に是非とも知っておくべきことがあります。

それは、タイトルの通りマイケルさんの子供時代についてのことです。

マイケルさんが、自分の子供時代のことを語ったものがあります↓。

「稽古中、父はいつも椅子にベルトを持ちながら座わっていて、間違えると叩かれ、みんないつも緊張しながらレッスンをしていた。
ほかにはアイロンコードとか周りにあるものすべてを使って、時には僕らをありったけの力で壁に叩きつけ、母親があなた死んじゃうよ、死んじゃうよ、って叫んで止めたのを覚えている。
僕は、足が速かったから逃げられたけど、捕まえられた時は、本当に酷い目にあった。
父を見るだけで失神して、ボディガードに助け起こされたこともあった。
凄く憎んだ。
だから、自分の子供たちには、絶対に手をあげないんだ」

と語っています。

又、少年時代は、クリスマスも誕生日もなく、休み返上で働いていて、レッスンに行く途中、子供たちが楽しそうに外で遊んでいる姿を見ては泣いていたとも語っていたそうです。

又、グループの駆け出しの頃、売り出すためとはいえストリッパーがいかがわしい出し物をするナイトクラブで営業しなければならなかったこともあるそうです。


そんな暗い少年時代を持つマイケルさんが、切実に綴った歌が「Childhood」なのです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7487557(プロモ)(又、プロモーションビデオがマイケルさんの気持ちを凄く反映していて、素晴らしいです。)

歌詞

「幼少時代を見たことがあるかい?
自分の辿ってきた世界を振り返ってるんだ
ずっと探してきた
心の中の忘れ物が置いてある場所を…
誰もわかってくれない
奇妙でエキセントリックだと
片付けてしまう…
いつも子供のように
ふざけてばかりいたからだろう でも…

世間は僕が変わってると言う
すごく些細な事に喜びを見出すから…
それを背負って
生きていかなければならない
子供時代を知らなかったために…


僕を判断する前に
受け入れようと努力して
心の奥底にある感情を確認して
それから子供時代のことを聞くべきだ


僕の少年時代を知らないかい?
若かった時代の奇跡を探してるんだ
皆でわかち合えるような
素晴らしい物語を
冒険心に満ちて、空を飛ぶような夢を…

僕を判断する前に
愛してみようと努力して
自分の過ごした辛い子供時代を

僕の少年時代は
どこへ行ってしまったんだろう… 」


相当辛かったんだなぁ。

そして、信じて欲しかったんだなぁ。




ある映像があります。

紹介します映像は、2002年、当時のSony Music USA社長モットーラーを人種差別者と糾弾してニューヨークでデモを展開した後、ニューヨークのハーレムにあるNational Action Network本部で人種差別に関するスピーチをした時の映像だそうです。

マイケルの怒りに満ちたスピーチの中に、彼の全ての真実があり、白人至上主義・黒人差別と戦ってきていたことが分かります。

http://www.youtube.com/watch?v=5OBUgE6EDFo&eurl=http%3A%2F%2Fameblo%2Ejp%2Fsuzuryou%2F&feature=player_embedded(動画)

翻訳↓

Michael's speech against racism 「人種差別についてのスピーチ」

Sharpton's National Action Network headquarters in the Harlem neighborhood of New York,

私が6歳か7歳くらいだった時の、遥か昔のインデアナでのことを思い出します。

私はパフォーマーというか、皆さんもご存知でしょうが、エンタテイナーになりたいという夢を持っていた。

夜寝ている時いつも、母は私を起こしてこう言ったものだ、
「マイケル、マイケル、ジェームズ・ブラウンがテレビに出てるわよ!」 と。
私はベッドから飛び起きて、ただ画面を凝視したものだし、すべてのツイストやターンや腰を動かしたり、グラインドしたり しようとしたものだ。
Jackie Wilsonも出てきた。
他の有名人もたくさん次から次へだ。
本当に目を見張るような、際限もないような偉大な才能の連続だった。

この時のアーティスト達が現実に一文無しな状態なのを見る事は本当に悲しいことだ。
彼等は世界中にとてつもない喜びを生み出したのに、 レコード会社を初めとするシステムが完全に彼等を利用したからだ。

レコード会社がいつも主張するように、”アーティスト達は豪邸を建てた”とか、”大金を浪費している”とか、 ”たくさんの車を買った”とか、言うようなことではないんだ。
そんなこと馬鹿げている。
それは言い訳だ。
そのようなことはアーティストが成し遂げたことに比べれば、なんでもないことだ。

我々が現在闘っていることは、非常に重要なことだと皆さんに知ってもらう必要がある。

なぜなら私はうんざりしているからだ。
私はごまかしに対して心底うんざりしている。

現在の状況で実際に何が起きているのかに関してマスコミがいかに全てを操作しているか本当に嫌気がさしている。
メデイアは真実を話さない。
彼等はうそつきだ。

中略))

現実逃避という感覚、つまりエンタテインメントという現実逃避を人々に与えること以上に重要なことって何だろう?
歌がなかったら我々はどうなるだろうか? 
ダンスがなかったら我々はどうなるだろうか?
喜びや笑いや音楽がなければ?
これらはとても重要なことだ。

しかし、もし我々が角の本屋に行けば、たった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!という現実を見るわけだ。

皆さんはエルビス・プレスリーの顔を表紙に見るだろうし、ローリング・ストーンズも見るだろう。
でもそれを最初に始めた本当のパイオニアはどこにいるんだ?
Otis Blackwell は多作で素晴らしい作曲家だ。
彼は最も偉大なエルビスの曲の幾つかを書いた。

でも彼は黒人だったんだ。
彼は一文無しで亡くなった。
そして誰も彼のことなんか知らないし、つまり、彼について書かれた本なんか一冊もない。
なぜなら僕は世界中探してきたからわかるんだ。

今日私はすべての不公正について話すためにここにいる。
皆さんは思い出さなければならない。

私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。
私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。

彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。

これは全て完全な陰謀だ。
皆さんはそれを知らなければならない。

私は自分の人種をわかっている。
鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。

今や変革すべき時だ。 
この建物を去るときに、何が(スピーチで)語られたかを忘れないようにしよう!

心に入れて、皆さんの自意識の中に入れて、それに対して何か行動を起こそう!
我々はそうしなければいけないんだ!
長い間待望されてきたが、今や変革がおきなければならない時なのだ。
だから、我々の松明を高々と掲げ、我々が本来当然受ける資格のある尊敬を受け取ろう。

I love you.
I love you.  
どうぞ今日心に留めたことを明日に忘れないで。
そんなことをするようなら、我々は自分達の目的を達することはできないだろうから。
こんな(差別は)やめなければならないんだ。
止めなければならないし、だから私はそれを確実に止めさせるために自分の最善を尽くすためにここにいるのだから。
皆さん、I love you.

”And remember: we’re all brothers and sisters, no matter what color we are. 
そしてどうか覚えていてください。

我々は皆兄弟であり、姉妹であるということを。
たとえ我々がどのような皮膚の色(人種)であろうとも。」



マイケルさんを調べれば調べるほど、マイケル・ジャクソンという一人の人間の偉大さ素晴らしさに感動します。

メディアは、マイケルさんのことを酷く報道していますが、そのほとんどが真実のないこと=ウワサばかりです。

真実が無いからと言って全てが嘘だとは言えませんが、100%の真実を知るということは不可能に近いものだと思います。

それは、マイケルさんのことに関わらず。

そこで重要なのは、その人のことを知るということですよね。

その人の行動や思考、人間性などを知って、信じることしか出来ないと思います。

今、私は、マイケルさんのことをいろいろと知って、マイケルさんのウワサがほとんど嘘のものであると思っています。

今までは、メディアの言うことを信じていたこともあり、変な人なのかなと思っていましたが、そう思っていた自分が今では悔しく感じます。

ほとんど悪いイメージの報道しか見たことがなかったし、良い報道を全然見たことがありませんでした。


マイケルさんが死んでしまった今、世界中の多くの人達がマイケルさんのことをネットで検索するようになりました。

それによってマイケルさんのほとんど報道されなかった真実を知った人達が多くいます。

そして、過った解釈に気付いた人達が多くいます。

そこから、マイケルさんの活動に大きく心を動かされ、マイケルさんが行ってきた行動や考えを受け継ごうと考える人達が、世界中で増えてきています。

マイケルさんが死んでからでは、遅かったのかもしれませんが、もしも、マイケルさんが亡くならなければ、このような現象には、ならなかったかもしれません。

改めて、私は、「死」というものの力が大きいものなんだと感じました。

「死」をキッカケにマイケルさんの願いと活動がより大きなものになっていくことを願います。



最後に。

人に対して絶望を感じた事があるか?
という質問にマイケルさんは、「ある」と答えた事があるそうです。

そんなマイケルさんが、一番好きな歌は自身の歌でなくチャップリンの「smile」という曲だったそうです。

この曲は、映画モダンタイムスの曲です。

ラストシーンで、とうとう全てを失い絶望してる少女に向かって、チャップリンが
「笑ってごらん(Smile !)」
と言い、共に二人は再び歩き始める名シーンで流れる曲です。

その曲が好きだった事に、マイケルさんの人生の全てを物語っているように私は、感じます。

「smile」を突然歌い始めるマイケルさんの動画。
http://www.youtube.com/watch?v=PIm12LBuAlk&eurl=http%3A%2F%2Fmixi%2Ejp%2Fview%5Fdiary%2Epl%3Fid%3D1226907427%26owner%5Fid%3D342094&feature=player_embedded

歌詞

「心が痛くても 微笑んでね
たとえ心が折れそうでも 微笑んでよ?
怖いときや悲しいときでも
微笑めば 雲が空を覆っても大丈夫
微笑めば 明日には太陽の光が見えてくるから

喜びで顔を輝かせて
悲しみの跡を隠そうよ
たとえ涙が止まらなくても
そのときこそ微笑みを忘れないで

スマイル、泣いていても何も始まらない
ただ微笑むだけで
人生はまだ捨てたものじゃないってわかるから」

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