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“本当の恐怖”を知ること

齊藤ゾンビです。


最近、ネットでとても恐ろしい映像を拝見しました。

それは、「火事の映像」です。

その「火事の映像」は、私の想像していた火事のイメージを遥かに超えていたものでした。

私のイメージしていた火事の映像というのは、一般的だと思いますが、避難され誰も居ない建物が燃えていて、それを離れたところから撮影しているだけの映像というものです。

テレビやネットに出回っているものは、ほとんどそういうものだと思います。

そういう火事の映像を見て、「恐い」と感じる人も居ると思いますが、「炎が凄い!!」と思う人も居れば、「燃えてるねぇ」とただ思うだけの人も居ると思います。

しかし、危機迫る恐怖感を感じる人は少ないかと思います。

ましては、炎は、ショーや映画などでも綺麗な演出として使われることもあり、人々の感覚の中には、「恐い」という感覚が薄れているものだと感じたりする。




しかし、私が見た映像は、一番最初に記したように「想像していた火事のイメージを遥かに超えていた」ものだったのです。

それが、この映像の特筆すべきところ。


この火災映像の詳細は、

「2003年にロードアイランド州ウエストワーウィックのナイトクラブ「ザ・ステーション」で起きた悲惨な火災の映像です。
この事故で100人が死亡、230名が煙を吸ったり将棋倒しなどにより負傷。
事故後の調査によるとステージの火花が天井へ燃え移り、また観客がそれも演出の一部と勘違いした事から逃げ遅れて大惨事に繋がったとしています。
ステージの責任者には過失致死傷罪で有罪判決がでています。」


というもの。

ライブの演出で舞台上で行われた火花が天井へ燃え移り、舞台からライブハウス全体へと炎が燃え広がっていったのです。



映像の流れを説明します。


ライブハウスの天井に演出で行った火花の火が燃え移る



炎が燃え広がっていく



建物の中に居る人達が大パニックになる



出入り口はパニックになった人達が押し合い将棋倒しになり、完全に人で詰まり塞がった状態になり誰も出られない状況になる



建物全体が炎に包まれる



出入り口に居る人達が悲鳴をあげながら燃える(直接映っている訳ではないが、そう見える)


駆けつけた消防士たちが必死に消火作業をしている


という映像でした。



映像を見ていた時、あまりにもの恐ろしさに心臓が大きく鼓動を刻んでいました。

正直、火事がこんなに恐ろしいものとは、全然思ってもいませんでした。

想像もしていませんでした。

それ故に、映像を見た時の衝撃は、もの凄く大きかったです。


炎も恐いが、それ以上に人がパニックになり二次災害による大惨事を招くことがもっと恐ろしいことなんだとも感じました。

少しでも冷静であれば唯一の出入り口で人同士が挟まって塞がれることはなかったかもしれない。

100人の死亡者というのは、この塞がってしまった出入り口の影響が一番大きいと考えられる。

しかし、この状況で冷静に居ることは、簡単に出来ることではない。

誰かが映像のコメントに書いていたが、出口から遠い人、すなわち、火事現場から近い、又は、人の群れの一番後ろの人は、大パニックになり恐ろしいことになっているのだろう、正に、前の人を殴ったり払いのけて前に必死に行こうと暴れているかもしれない。

それに加え、煙は凄い勢いで充満し、死の恐怖もどんどん増していく。

そんな現場を思うと、冷静になんか到底なれないと思う。




この映像は、観客席前方でビデオ撮影していた観客が一部始終を撮影していたものです。

炎が天井に燃え移った瞬間から、脱出し、外から一部始終を撮影しています。

映像には、人を助けている人、逃げている人、泣いている人、発狂している人、燃えている人、いろんな人が映っています。

その中でこの撮影者は、冷静にその一部始終を撮影しています。

映像を見た人の中には、「撮影してないで助けろよ」と撮影者を非難する方もいるかと思います。

しかし、私は、この映像を見て「映像におさえることの大切さ」強く感じました

又、撮影者のその根性にも凄さを感じました。




「映像に撮ることの大切さ」、それは、とてもモラルが無いように思われる発言かもしれません。

しかし、この映像を撮影し、この映像を人に見せることで見た人に大きなものを与えることが出来ます。


それは、「恐怖」です。

「恐怖」を感じることは、凄く大切なこと!!


人類が誕生して何万年、ここまで人類が滅ばず生きながらえてきたのは、「恐怖心」というものがあったからです。

「恐怖」を感じるからこそ人は危険なものに近づかず、常に危険を回避し、生き抜く術を編み出し、生きながらえてきたのです。



「恐怖」は、“生きるため”に最も大切な要素。


この映像からは大きな大きな恐怖、すなわち、“火事の恐怖”が記録されています。

その恐怖は、きっと誰もが想像を越えているほどのものだと思いますし、その記憶は強く残ると思います。

こんな映像恐ろし過ぎてニュース番組でも絶対に流せないものだと思いますし、映画でも再現が出来ないものだと思います(人が真に迫る叫びは、演技では出来ないと思う)。

とにかくそれぐらい恐ろしいのです。


この映像は、本当の「火事の恐ろしさ」を教えてくれる貴重な映像。


それ故に、「生き抜く術」を教えてくれる映像でもあります。

人が生き抜く術、それは、それが「恐怖」であると“いち早く知ること”・“イメージ出来ること”

「人が逃げる時」とは、恐怖を感じた時でしょう。

災害に遭遇した時は、“逃げる”という選択が数秒遅れただけで“生”か“死”かが決まる。

その選択の速さは、その人自身の「恐怖」の感じ方次第で決まると思う。



“恐怖”を大きくイメージ出来る人は、いち早く危険を察知して、生きようと逃げることが出来る。

“恐怖”をイメージ出来ない人は、逃げ遅れてしまう。



「イメージ出来る人」、「イメージ出来ない人」の差は、この映像を見れば一目瞭然で分かる。


この映像の撮影者は、天井に炎が燃え移ったすぐ直後に出入り口の方へ移動をしている。

しかし、映像を見てみると燃え移った炎に見とれて逃げないでいる人もいる(それはかなり多い)。

炎は数秒で燃え広がり、瞬時に現場は大パニックになる。

そして、パニックによる二次災害を引き起こし、出口が塞がれる。
それは、本当にあっという間。

正に、数秒の差で生と死が分けられる瞬間。


恐怖をすぐにイメージ出来たからこそすぐに逃げれた撮影者。

恐怖をすぐにイメージ出来なかったからこそ逃げ遅れてしまった人。


本当に“数秒”の世界です。

その“数秒”の選択の違いで“生”か“死”かが正に決まる


私は、この映像を見ていなかったら、きっと“選択”が遅れてしまい悪い方向へ進んでいただろうと思う。

しかし、今は、すぐに「選択」が出来ると思う。

それは、自分の心にしっかりとした「恐怖のイメージ」を持つことが出来たから。



「恐怖をイメージすることが出来ること」とは、“災害”という数秒で生か死かが決まる世界で生き延びる為の最も大切な術なのです。




それを踏まえて考えるとこの現場を撮影したことは、大きな意味があると感じるのです。

この映像のお陰で、未来で遭遇する災害から命が助かる人がいるかもしれない。

この火事で死んでいった人たちの死を無駄にしない為にも、そこから学べるもの、「生きること」を学ばなければいけないと思う。

火の管理は然り、同じことが二度と起きないようにも。




映像を見ると凄く分かりますが、あの阿鼻叫喚とした正に地獄のような状況で、そして、目の前に身動きが取れず、燃えながら発狂している人々が居る中で冷静に居ることはおろか、ビデオカメラを向けて撮影が出来るであろうか・・・。

撮影者もあまりにもの惨劇を目の当たりにして、取り乱している様子がうかがえる場面もあるが、最後まで撮影をしている。

何を理由に撮影を行ったのか明確な理由は分からないが、撮影者の根性は凄いものだと感じる。



以下にyoutubeに掲載されているその火事の映像を載せますが、結構衝撃的な映像なので、見れないと思う人は見ない方が良いと思います。

人が燃えているというシーンは、遠くから撮影している時にしか分からないものなので、直接的に目の前で映しているという感じではありませんが、ご覧になる時は気を付けて下さい。



掲載しようか迷いましたが、私は、この映像で大きなことを学んだので、載せることに決めました。

死んだ100人の方達のご冥福を心からお祈りします。







「知る」ということは、“人が生きる上で”・“人生を生き抜く上で”最も大切な行為だと思います。

そして、“本当の恐怖を知る”ということは、最も大切なことなんだと感じました。


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自分を嫌うこととは
2011.01.24 Monday 17:58

齊藤ゾンビです。



前回の「自分を好きになることとは」で書こうと思っていたことなんですが、とても長くなってしまうということで書かないでいたことを書きます。

それは、「自分を嫌うこととは」です。

誰しも自分自身が嫌になってしまう時ってあると思います。

私も何度もあります。

しかし、それは、心理学的に詳しいことが書かれていました。

「自分を嫌うこと」その本質を知ると、前回の日記と同じですがポジティブな気持ちになれる感じがします。

「自分を嫌いにならない方法」それを今読んでいる心理学の本から抜粋して書こうと思います。





「電車に乗ってきた老婆を見て、寝たふりをする人たちは、本当は、心の中ではチクチク針が刺さっているはずである。

そして少しずつ、そんな自分自身を嫌いになっていってしまう。

しかも、そういう閉じた回避行動を重ねていると、だんだんと、人生そのものを大事に思えなくなったり、生きていることが虚しくなったりと、心労がたまりやすい体質になってしまうのだ。

 実際に、そうなってしまった20歳の男性を知っている。

彼は、電車に乗ってくる老人を見るとムカつく、とよく語っていた。

彼の行動にはいつも驚かされたものだ。

「いかにもさあ、席譲って〜、私年寄りなんだから〜、みたいな空気出すんだよね。年寄りはおとなしく家にいろっつ〜の。迷惑だよな。」

などと、こともあろうに電車の中で聞こえよがしに口にし、わざわざ荷物をドカッと置いて空席をふさいだりするのだ。

彼は一事が万事、他人に対して徹底的に意地が悪く、厳しい人であった。

 よく話せばとても人なつっこく、頭の回転も速く、私の荷物をさり気なく持ってくれるような親切心もあるのに、自分と関係のない他人のことだけには完全に「敵視」するという態度を示す。

人を敵視しながら、いつも心は空虚で寂しそう。

時折、自分が嫌いだと叫んではリストカットを繰り返し、「俺は最低だから、死んだほうがいいよね」と泣きじゃくる。

そんなことが幾度もあった。

 他人を敵視することは、こんなにも、巡りめぐって「自分自身を敵視する」ことに繋がるのだと痛感する。

他人を嫌うこと、他人をいじめることは、いつの間にか自分を深く傷つけることになるのだ。

だから、人に優しく関わるチャンスを無視したり、ないがしろにしたりすると、結局は自分が損をする。

いじめっこは、少しずつ自分を嫌いになり、人生が嫌いになる。

本人にとって損なのだ。

 本来は誰にでも備わっているはずの「人を助ける」という本能。

これを出し惜しんだり、他人を侮辱したりすることが、結局は「自分を愛せない人」にしてしまっている。」



「情けは人の為ならず」、それは、逆のパターンもあるんですね。

自分の心は、全て人とのかかわり合いの中から作り出されていくものだと凄く分かります。

その接し方次第で自分の心の在り方、そして、人生をも大きく形つくられていくんだなと思うと、人との接し合いの大切さが身に染みて感じますね。

大変な時でも、苦しい時でも、人に優しく出来る人こそ楽しい人生を歩んでいける秘訣なのかなと感じます。

でも、疲れている時に人のことを思いやるって難しいですよね。

でも、それがそうだと分かったなら何か頑張ってみようかなって気持にもなるような気がします。

皆さんも「情けは人の為ならず」方法を実践して素敵な人生を創っていってみてはどうでしょう。




「情けは人の為ならず」 人の為に尽くすこと、それが大切なことですが、では、動画「赤ずきんちゃんと健康」をご覧ください!!

シュールなお話ですが、赤ずきんちゃんが健康の為に頑張ってくれています(笑)!!

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自分を好きになることとは
2011.01.22 Saturday 19:58

 齊藤ゾンビです。



私は、未知なモノに凄く興味があり、惹かれます。

心霊やUFO、UMA、オーパーツ・・・etc、とにかく未知なモノを知り、それを追究する。

その興味の先には、きっとこの世の「真実」を知りたいというものがある。

私は、その「真実」というモノに魅せられている。

その延長線に今の仕事にたどり着いたのかなとも思ったりします。


その未知なモノの中には、「人」も大きく含まれています。

「なぜ、生きているんだろう?」

「何で体が動くんだろう?」

「幸せってなんだろう?」

「何で人が人を殺すんだろう?」

「憎しみって?愛って何だろう?」

「心って何だろう?」・・・etc



いつもいつも「人」について考えてしまう。


そして、今、心理学の本を読んでいます。

心理学について学ぶととても面白い。

全てが正しいとは思いませんが、心理学の中には、 「あぁ、確かにそうだな」 って思うことがたくさんあります。

そのたくさんある心理学の知識の中にとても興味深いものがありました。

それは、「自分を好きになる方法」というものです。

以下は、本に書いてあることを抜粋しました。





「電車の座席に座っている時、杖をついた老婆が乗ってきた。

しかも、老婆には座る席がなく、目の前にヨロッと立っている。

そういう時、いつもあなたはどうしているだろうか?


1:「どうぞ」と席を譲る。

2:平気でやり過ごす。

3:いきなり寝たふり。


いろんな方が居ると思うが、私の場合は、絶対に1である。

どんなに自分が重い荷物を持っていても、どんなにヘトヘトに疲れていても。

しかし、ここだけの話、それは私が善良な人間だからでもなければ、老婆が気の毒だから、という理由だけでもない。


 それは、そういう「いかにもいいこと」をした後の自分が、もの凄く気持ち良いからである。

私ってカッコいいな、という自惚れと爽快感

心が軽くなり、かえって疲れが取れることも多いのだ。

 老婆の方は私に「まあ、ありがとうね。」と感謝してくれるが、「いえ、こちらこそ、こんなに良い気分にしてもらって、むしろありがとう!」なのだ。

人に親切にすると自分を好きになる。

そんな経験は誰にでもあるだろう。


 そういう「親切の気持ち良さ」が癖になり、席を譲るなんてもう当たり前。

階段の上り下りをするお年寄りの手は必ず引き、荷物も持つ。

こうなったらもう趣味である。

誰に頼まれたでもなく、完全に余計なお世話だろうが、こっちから勝手にサービスを買って出るのだ。


 なぜなら、そんな毎日を続けていると、 「私は優しい人。私は余裕のある人」 と、いつでもポジティブな自己像を持ち、手軽に自分自身に酔えるからだ。

自分のことが好きになり、私という人間のステージが上昇していく気さえする。

そしてなんだか、もっともっと頑張ろう! という前向きなエネルギーが湧いてくるから不思議である。


 「情けは人の為ならず」
とは、「親切は他人の為ではなく、巡りめぐって自分の為になる」という意味のことわざであるが、なぜそうなるかと言うと、親切な行為をすることで自分の中の「自己肯定感」が高まり、自分のことを愛せる人間になれるからではないかと感じる。

自己肯定感は、主観的幸福度を著しく高める。

心理学では、その感情を「多幸感」という。


 他人の為に自分が犠牲になって貢献しようとしている行為そのものが、「私は意味あって生きている」、「私は価値あって生かされている」という、人としての基本的な自己肯定感を生み出す。

実際、「世話好きな人」は、みなポジティブで躍動感があり、幸せそうに見える人が多い。


 反対に、一人ぼっちで閉じこもって生きている人は、「自分が好きだなぁ、自分って良いところあるよなぁ」などと思うことはなかなか出来ないだろう。

人と人との間で比べられたり揉まれたりしないと、自分のことは自分で分からないからである。


 このことは、心理学では「社会的比較理論」と呼ばれている。

人はみんな子供の頃から、学校集団などでの他者との関わりの中で、自分への肯定感情(=自己愛や自尊感情)を高めていく術を学ぶのだ。

これは大人になっても同じだろう。

他人に情けをかけることは、結果的には自分に対する自己評価を上げることになる。

つまり、自分の心が元気になるのだ。」




と、「自分を愛することは、他人を愛すること」から始まるということが、この心理学の考えから分かる。

全てがこの理論に準ずるとは限らないが、少なくともこの心理による要素もあると私は思います。

何事にも「人の為に」と真剣に思えることがあれば、人生はとても楽しくなるし、世界観もがらっと変わるものだと思う。

「恋人ができた時」、「子供ができた時」、「家族ができた時」、自分にとって守るべきモノができた時、何だって一生懸命になれるようになったことが皆さんにあったと思います。

「情けは人の為ならず」とは、正にその言葉の通りですよね。



そういえば、この心理学の話を知った時に私は、一つの話を思い出しました。

その話とは、非行カウンセラーの水谷先生が話されていた話です。

水谷先生とは、非行に走った少年少女たちの心の支え、カウンセリングをボランティアで行っている方です。

水谷

通称「夜回り先生」とも呼ばれている人で、時間が空いている時は、いつも夜の繁華街を一人で見周り、夜の街に溶け込んでいる子供たちにこまめに一人ずつ声を掛け、話を聞いたり、時には、叱ったりなどして、子供達とのコミュニケーションを行っていたりしています。

そして、夜の子供たちに「何かあったら気軽に電話をかけろよ。」と言って名刺を配ったりします。

水谷先生は、夜回りをする時は、必ず一人で行うそうです。

それは、子供の警戒心を少しでも無くす為だと聞いたことがあります。

なので、時には、危ない目に遭ったりすることもあるそうで、親指をハンマーで潰されたということもあったそうです。

それでも、めげずに活動を続け、子供達の気持ちに立って、又、子供達と同じ目線で話し合いをし夜の子供たちとの真摯に向かい合っているのです。



以前、ドキュメント番組で水谷先生の夜回り風景を撮影していた番組の映像で、夜の繁華街を見周りしている水谷先生と出会った子供達の反応が鮮明に記憶に残っています。

「水谷先生!!」と言いながら、子供達の方から話しかけて来たり

「水谷先生だと何でも話せちゃうんだよね。」と言いながら子供達の方から話しかけて来る。

説教をするような人に対して、好意を持って接してくるなんてとても不思議に思えたが、真正面から向き合って話を聞いて、真剣に考え、真剣に叱ってくれる人こそ、「自分のことを真剣に思ってくれている」という気持ちが、心を開かせているものなんだと、見てて感じました。



話は戻りますが、心理学の話を読んで、水谷先生がおっしゃっていたある話を思い出したのです。


その話は、ある日、水谷先生の携帯電話に一人の少年から電話が掛かってきたそうです。

その少年は、水谷先生の名刺を見て電話をしてきた少年だったそうです。

少年は、水谷先生が電話に出るとこう話してきたそうです。(うる覚えなので正確ではないかもしれませんが、そこはご了承ください。)

少年:「水谷先生、俺、今から部屋で首を吊って自殺するんだ。最後に先生と話をしてみたくて電話をしたんだ。」

先生:「何で自殺をしたいんだ?」

少年:「嫌なことしかなくて生きているのが嫌になったんだ。」

先生:「そうかぁ。私には、君が決めたことに何も言えることは出来ない。君が自殺をすると決めたのなら、それを止めることもしない。
でも、自殺をするんだったら、最後に先生のお願いを一つだけ聞いてもらっていいか?」

少年:「一つだけだったら良いよ。もう死ぬんだし。何?」

先生:「今から誰でも良いから、その人の為に何か一つだけ良い事をして欲しいんだ。その人の為になることだったら何でも良いから。
このぐらいのお願いだったら簡単だろ?」

少年:「分かった。それをやったら、僕死ぬよ。必ず約束は守るからね。先生と話が出来て良かったよ。先生さようなら。」


少年は、そう言って電話を切ったそうです。

自分の部屋の天井にくくられた首つり用の紐をよそに、少年は、ベランダに行き外を眺めたそうです。

そして、自宅の目の前の歩道を見ると、そこに重たそうなごみ袋を運んでいるおばあちゃんが歩いていたそうです。

そして、そのおばあちゃんのごみ袋を運んであげれば約束を果たすことになると思った少年は、すぐに外へ出ておばあちゃんの元へ走っていったそうです。

少年:「おばあちゃん、そのゴミ袋、俺が運んであげるよ!!」

そう言っておばあちゃんのごみ袋を持ち一緒に運んだそうです。

少年の心の中では、「これが終わったら死のう。」とずっと思っていたそうです。

そして、おばあちゃんと世間話をしながらゴミ捨て場までごみ袋を運び、帰ろうとした時、おばあちゃんが、その少年に向かって大きな声で


「ありがとう!!」

と言ったそうです。

少年は、その声とその言葉を聞いた時、心の中に大きな気持ち良さを感じたそうです。

少年は、その気持ち良さに不思議な感覚を感じ、また感じてみたいと思い、家に帰ってから母親の手伝いを進んでやったそうです。

そして、母親から「ありがとう」という言葉を掛けられ、少年はとても気持ちが良かったそうです。

人から感謝される喜びを知ったその少年は、自殺をすることを忘れ、その日からずっと自宅の手伝いを進んでやっていったそうです。

そして、ひきこもりがちであったその少年は、次第に外へ出れるようにもなり、働くことも出来るようになっていったそうです。

その少年は、仕事をして人の為に働いていることがとても楽しいと言って、今でも元気に生きているそうです。





「情けは人の為ならず」  それは、時に人の生きる希望をも照らし出してくれる。

そして、それは、人が生きる上で根本的に大切なことなのかもしれないと私は思いました。



ちなみに、私は、この話を知ってから、必ず「ありがとう」という言葉を言うようになりました。

「ありがとう」の一つで人の心が救われるのなら、とても素敵なことですよね。



もしも、何もかもが嫌になって希望も何も持てなくなってしまった時、この法則を思い出すことが出来たら、少しはポジティブになれるかもしれませんよね。

元気が無い人がいたらさりげなくボランティアなんかに誘ってみたら、元気になったりするのかな。

「自分を好きになる方法」それは、生きていく上で覚えておきたい大切な方法ですね。

心理学の本には、こんなことも書いてありました。

自分の仕事にも人の役に立っていることをイメージ出来るとその仕事へのやる気もグンと上がるそうです。

人の元気の源は、「人の為」ということですよね。




台場怪奇学校には、ミッションがあります。

それは、無残に死んでいった子供達の霊たちをお札を使って供養してくるというもの。

お客さんは、必ず指定の場所にお札を置いて「成仏して下さい」とお祈りをしなければいけない。

そして、成仏出来なかった子供たちの幽霊は、「はい」、もしくは、「ありがとう」と言って成仏していくのである。

それもまた人(幽霊)を救う行いにお客さんの心に温かい気持ちを提供出来ているのかな。

お客さんにとっても幽霊にとっても素敵なお化け屋敷でありたいですね。




そして、生きる希望を見出せるような、稲川さんの言う「死を持って生を伝える」、そんなお化け屋敷を創っていけたらなと日々頑張っております。

幽霊が生きる人間達に「生きることの素晴らしさ」を伝えてくれるお化け屋敷なんて本当素敵ですよね。

あぁ、映画が出来ちゃうなぁ(笑)。

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「恐怖演出」そのポイントは人の「心」にあり
2010.10.18 Monday 19:54
 
齊藤ゾンビです。

以前、私が大好きなテレビ番組の爆笑問題の「爆笑問題のニッポンの教養」を見ていた時にとても興味深い内容のものがやっていました。


この番組は、爆笑問題のお二人が様々な専門の教授たちと対談し、討論するという番組なんですが、その時に対談していたのが、ロボット工学のパイオニア・三浦宏文さんという方でした。










 

三浦宏文さんは、人型ロボットの権威で「人間らしい動き」をする人型ロボットを作ってきた方です。

今から26年前、世界で初めて動的二足歩行ロボットを発表し世界を驚かし、その後、「けん玉ロボット」や「コマ回しロボット」などを次々と開発し人型ロボットの権威として学界を常にリードしてきた凄い方なのです。

そんな三浦さんが目指すのが鉄腕アトムのような「意思のあるロボット」だったそうです。

今まで人型ロボットに大きな可能性を信じてやってきた三浦さんでしたが、ある時、人型ロボット製作に限界を感じるようになります。

「しょせん人間のプログラム通りにしか動かない。」

「現在の科学をどう使ってもロボットに意志を持たせることは、まったく不可能。」

そんな行き詰っていた時に、三浦さんは自宅でエサにありつこうとする一匹のゴキブリと遭遇したそうです。

殺そうとソッと近くに近づくと冷蔵庫の下に逃げてしまう。

そして、「あっち行けよ!!俺はおいしいものを探しに行くんだ!!」」と言っているような目で冷蔵庫の下から触覚を出してこちらの様子を伺っているのを見たという。

その時、三浦さんの脳裏に「何かある!!」と思ったそうです。

そのゴキブリの姿に強い「意志」を感じ取ったそうです。

「昆虫には、意志がある」

そして、その後、昆虫のことを調べてみると、昆虫には意志を持っていないことが分かったそうです。

ゴキブリを見て、なぜ意志があったかのように見えたかというと、ゴキブリの尻尾には、空気流センサーがあり、あらゆる角度から空気が流れると全速力で走る筋肉が動くという設計になっているという。

ゴキブリは、人間が恐いから逃げるとかではなく、空気の流れを感じて逃げているだけであったのです。


そのメカニズムを知った三浦さんは、虫の驚くべくその仕組みに魅了され、それ以来、昆虫を規範にしたロボットを研究開発し、昆虫ロボットの可能性を追求し始めたそうです。

「昆虫は、シンプルにして、驚くほど効率的な体の仕組みで出来ている。」

虫を研究していくといろんな虫によって様々な効率的な仕組みになっていたことに驚いたという。

そのプロセスについて三浦さんは、こう語っています。

「虫の一番の魅力は、人間なんかに比べてずっと長い間生存してきていること。
ゴキブリなんて5億年も。
その環境の中で、種の保存の知恵が昆虫の中に埋め込まれていると思う。」

5億年の賜物ということですね。

虫の体には、正に5億年をかけて作りだされてきた圧倒的な設計図があるってことなんですよね。

そう考えると虫の体こそ最高のロボット工学におけるお手本=設計図と言えるべくものですよね。

そのことに気付いた三浦さんは、虫の構造を活かした様々な活用的なロボットを開発していき、また世界から大きく注目される存在になります。

三浦さんは、虫についてこう語っていました。


「動物で人類が今の最先端であるけど、昆虫も進化の最先端なんです。
もともとは、動物の系統術があって、進化の世界から見るとそれぞれの別の進化をしていった先端の人間と先端の節足動物なんです。」


「虫」こそ最高の技術っていうことなんですよね。




三浦さんは、その「虫の意志」から虫の最高峰の構造・技術を知り得て、ロボット技術に活かしてきた訳ですが、三浦さんが昔から目指してきたのは、鉄腕アトムのような「意志」を持ったロボット。

しかし、今の科学では「意志」を持ったロボットを作ることは、全く不可能ということだが、三浦さんが着目するのは、ゴキブリと遭遇した時に感じた「意志があるように“見えた”」という点。

それに気付いた三浦さんは、「意志」というものの見方が変わったそうです。

人間は、いろんなものを見たり感じたりし、その状況からいろいろと論理を考えて、自分が一番どうしたら良いのか(逃げるべきか進むべきか)を考えるのであってそれが「意志」と呼べるものであるんですが、昆虫にはその「意志」が無い。

昆虫にも一応脳細胞があるとのことですが、とても小さいそうです。

人間は140億、少なくて昆虫は1000ぐらいの脳細胞しかないどうです。


そんなにも脳細胞の差に大きな差があるにも拘わらず、なぜあんなに「意志」・「意識」があるように見えたのか?

それは、前述したように「意志」や「意識」を持っているように「見えた」だけに過ぎず、そう見える昆虫の体の作りの“メカニズム”に大きく着目出来ると三浦さんは言います。

例えば、

「蛾に関しても、蛾は触角で女性フェロモンを探知してそこに近づくという設計になっている。」

「アリが集団で動いているのは群知能という。
アリには、行列を作っているが、行列しろと命令するのもいないし、行列を作ろうとも思っていないと思う。
ただ、エサを探したら、行って帰ってくる間にフェロモンを残してくる。
そのフェロモンをついて行くという本能が与えられているからそのようになるのである。」

そういった体の“メカニズム”、又は、その生物の本能に“プログラミング”された動きに「意志」や「意識」があるように見えるだけなんだと三浦さんは語ります。



そう考えると「意志」や「意識」の定義や見方が変わってきて面白いですよね。

対談し、その話を聞いた爆笑問題の太田さんが、とても興味深い考えを話していました。


「人間は、何でも擬人化してしまうところがある。
意志を持っているかなんて自分にしか分からないこと。
最終的には、先生も意志を持っているのかも分からない。
自分が、勝手に意志を持っているんだとそう思い込んでいるだけなのかもしれない。
先生が機嫌が良いか悪いかも全部自分が勝手に思い込んでいるものにすぎない。
そうすると、昆虫には意志がある、人間には意志があるなんて考えることは、とても馬鹿馬鹿しいことに思えてくる。
全部一緒なんじゃないかな。」


とても面白い考えですよね!!

確かにそう考えたら「意志」というものは、存在しないのかもしれない。

要するに人間の「考えること」や「思うこと」も全て自然とそう思うように“プログラミング”されてきたものであり、それが「意志があるように見える」に過ぎないっていうことなんですよね。


又、太田さんは、こうも話していました。

「人間は、本能とは違うと思われるようなこと、自分の好きなことをするが(こうならこうした方が良いなど)、それは文明というものが作り上げられた設計のようなもの。
しかし、考えてみると、文明ですら最初からそのようなことをするように植えつけられた本能、その身勝手なことをすることも含め、全部それは本能っていう言い方も出来る。」


「本能」=「プログラムされたこと」ってことですよね。


私たちが思う「自分の心」というものは、実は自分の意志で「感じる」・「思う」ということではなく、今までの人生によって蓄積しプログラミングされてきた統計的な「選択」にしか過ぎないってことなんですよね。

要するに人の「性格」や「考え方」というのは、どんな人生を歩み、何を得てきたのか、そのデータによって最適な選択をするように過ぎないロボットみたいなものってことですよね。


爆笑問題の太田さんは、対談の最後にこんなことを話していました。

「鉄腕アトムだって読者が勝手に擬人化しているだけで、全部プログラムだとするのならば、その点で人間との違いが分からないのならば、御茶ノ水博士は、(意志のあるロボットを)作ったということで良いと思う。」


正にって思いましたね!!



あと、その対談でとても面白い会話をしていたので、その会話を載せます。


太田さん
「人間は好き勝手やりますよね。
昆虫や動物と違って、本能と違うように見えることを。
つまり動物的な本能と違うように。」

三浦さん
「考えてね。」

太田さん
「それが文明ですよね。」

三浦さん
「そうです。おっしゃる通り。文明、うん。」

太田さん
「で、その文明っていうことを思うんだけど、もうちょっと何て言うんだろう、遠くから眺めると、文明ですらその理屈で言うとですよ、最初からそういうことをするように植えつけられた本能。
要するにそういう身勝手な行動をすることも含め、戦争も含め、全部それは本能っていう言い方もできるんじゃないですか。」

三浦さん
「できると思う。
だから資本主義というのはそうじゃないですか。
みんな人間それぞれ一人ひとりが、自分がお金を儲けたい、お金を持ちたい、金持ちになりたいと思って、行動するような世界、社会にしておけば、その神の手“インビジブル・ハンド”という言葉がありますよね。
“インビジブル・ハンド”が働くから、社会として社会が保たれると。」



この対談は、本当に興味深く面白かったですね。




この対談を聞いて、いろいろと考え方が変わりましたね。

自分の「心」というのも疑わしく感じたりもしてきます。

「俺の意志は、本当に俺の意志なのか?」と…。

本当に「心」=「意志」というものが、ただのプログラミングに過ぎないことだとしたら、面白いものです。

又、考えようには、とてもポジティブにもなれる気がします。

要するに自分の「心」は、パソコンのようなプログラムに過ぎないということなら、「心」を変えることも出来るということですからね。

たとえば、嫌なことが続いて自分の心がダークサイドに偏ってしまったら、物事の考え方が何でもマイナスな方に偏ってしまうものですよね。

しかし、それは、嫌なことが続いたせいでのただのマイナスの「プログラミング」にすぎず、そんな自分の心もちょっとしたことで、プラスに変えられるってこと。

嫌なことが続いたからなら、「楽しいこと」・「幸せなこと」をたくさん取り込めば、心もプラスな方向に書き換えられる。

「心」というのは、ただそれだけのことだと思えば、何かポジティブになれるような気がしますよね。

それは、私だけかな。

人の「心」というのは、結構単純だったりするのかもしれませんね。



どんどん書き換え!!書き換え〜!!ですね。




話は、少しそれますが、私が作り出すお化け屋敷は、正に人に“プログラミング”された動き「こうきたら、こう動く」という様々な動きから計算された演出がたくさんあります。

それが、「SAITO∞REAL方式」の真骨頂って感じですね。

人の“動き”というのは、面白いことに本当決まっていて正に“プログラミング”されたもののように感じます。

又、人は、いろんな種類の「人」が居て、人によって行動が様々で違うものですが、その中にも「共通点」という決まったもの=“プログラミング”というものが存在すると私は感じます。

その蓄積された「人の動き」のデータが更なる演出を織り成していく訳なんですが、そのデータは、常に蓄積され更新されていくものです。

なので、演出のレベルも日々進化を遂げていっているってことなんですよね。

「人間のプログラム」、すなわち、それを熟知すればもっともっと凄いお化け屋敷が創れると感じる私であります。

可能性は、無限大ですね。


お化け屋敷は、本当奥が深いですよ!!


いつかは、そのデータを活かしてショーをプロデュースしたいですね!!
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変化の恐怖
2010.08.02 Monday 12:14
齊藤ゾンビです。

最近は、台湾も無事オープンし、浜松・台場怪奇学校のイベントも無事開始し、執筆も終盤をむかえ、大分落ち着いてきて余裕が出てきたゾンビです。



最近、ネットサーフィンをしていたら、久しぶりに恐い感覚に襲われた画像を見ました。

それは、なかやまきんに君の画像です。

なかやまきんに君は、知っている人もたくさん居ると思いますが、最近見かけないなって思っている方もいると思います。

きんに君は、2006年に筋肉留学をしにアメリカへ渡米し、いろんな勉強をしているそうです

きんに君は、ブログをやっていまして、2006年から画像付きでたくさん更新されています。

そして、今、そのブログでおかしなことが起きていてネット上では、いろんな方達が心配している状況になっているんです。

そのおかしなこととは、きんに君の変化です。

ブログには、留学した2006年からの日記があり画像もあります。

2006年のきんに君の画像↓





とても元気そうで、これからアメリカで頑張るぞって活気を感じられる画像です。

しかし、2008年の画像からきんに君の表情に大きな変化が表われました。

2008年のきんに君の画像↓





表情が全て死んでいるんです。

どの画像を見ても全て無表情で目が死んでいる画像しかありません。

そして、2010年



筋肉も小さくなり、表情もとても暗いです。

日本に帰ってきた時に芸人仲間と一緒に撮った写真もありますが、


芸人たちと一緒に撮っていても表情に元気がありません。

「なかやまきんに君に一体何があったと言うんだ」とネット上では、きんに君を心配する書き込みがたくさん書かれております。

又、ネットでは、このような記事がありました。

「お笑い芸人「なだぎ武」が7月6日(2010年)のブログで、
筋肉留学中のお笑い芸人「なかやまきんに君」との再会を報告している。

きんに君は現在、日本に帰国してテレビ番組の収録に参加している。
その現場で久しぶりに会ったなだぎは、「ん??」と思う。
というのは、彼の体の線がやけに細く、小さくなっていたからだ。

日本を離れてアメリカに旅立ったのは筋肉留学のはずだった。
それなのに、である。理由を聞くと、「アメリカは恐ろしいところだ」と言うのみ。
詳しいことはわからないが、最近はトレーニングをほとんどせずに毎日、勉強に
没頭しているという。

「振り返った背中も寂しげで、背筋も無くなり、オーラも消え失せていました…。
あれだけ拍手を欲しがっていた人間が、今はまるで同情を欲しているようだった…」

なだぎは、きんに君に日本に帰ってくることを勧めている。
そしてまた、パワー溢れるギャグを見せてほしい、と書いていた。」


「アメリカは恐ろしいところだ」と言うのみだったという言葉には、凄く恐怖を感じました。

きんに君がアメリカで経験した恐ろしいこととは何なんだ!?
人をここまで変えてしまうほどの恐怖って何だ!?

人の心は、とても脆いものだと思います。

タフな人もいるけれど、タフな人でも小さなことで、心が一気に崩壊してしまうことも必ずあるものだと思う。

人が何で崩壊してしまうのか分からないからこそ、人の言動って難しいものだよなって感じます。



話は、戻りますが、想像を超えた変化というのは、とても不安や混乱を生み、恐怖を感じるものだと思います。

「一体どうなっているんだ!?(汗)」

って予測や想像が追いつかない変化に遭遇すると混乱に似た恐怖を感じますよね。

それは、どういう心理からきているのか私には分かりませんが、とにかく大きな変化というものは、ものにもよりますが恐怖を与えますよね。

私は、きんに君の大きな変化に驚きと恐怖を感じました。



そんな恐怖をお化け屋敷でも活用したりしています。

普通の空間だったところを一つドアを開けるとドアの向こうは、阿鼻叫喚の空間が現れる。

普通な空間から一気におかしな空間になるその差が大きければ大きいほど、その衝撃は、大きなものであり、大きな恐怖を与えられるものだと思っています。



きんに君の話から最後は、お化け屋敷の話になりましたが、恐怖っていろんな恐怖があるものだよね。


それにしても、きんに君に素敵な笑顔が戻ってくることを願います。
きんに君は、好きな芸人の一人ですから。
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どのくらい怖いですか
2010.03.27 Saturday 19:50
平野幽霊です。



お化け屋敷で「どれくらい怖いですか?」

この問いについて考えてみる。

この問いをするお客さんにはさまざまな種類がいて、
怖いから入る人、怖くないなら入るという人。
怖いと入らない人もいれば、怖くないから入らない人もいる。

たとえば、映画について窓口で「面白いですか?」と聞くと窓口の人は困るのではないだろうか?
なぜ困るかというと、面白いといってみてもらって「つまらなかった」といわれても責任をとることは出来ないから。かといって、普通ですとかつまらないですよというわけにはいかない。
つまりわかりません、お客さん次第ですとしか答えようが無いのである。
またどんな話かをこまごまときかれても困るだろう。落ちを言うわけにもいかないし。
もしくは、客観的な数字で、○○ランキングで一位になりました、とか、当
館でナンバー1の人気ですとかなら言えるかもしれない。

そのまえに、”面白い”映画では、ないかもしれない、怖いかも、感心するかも、感動するかも、退屈かもしれない。それに質問者がどう感じるかなど超能力者でもない限りわからない。なのに聞いてくる・・・。

お化け屋敷も同様に難しいのである。
そもそもお化け屋敷を、怖いか怖くないかだけで語れるのだろうか?

そういう意味で、お笑いも面白いかどうかだけで判断されるんじゃないかと思う。
そこを悩んでいる人もいるかもしれないな、なんて思った土曜の午後でした。

とにかく数字であらわせないものを売るというのは大変だなあ。


★ヒラジオ更新!テーマは「エレベーター」です。
ヒラジオ(毎週5分でもいいから意地でも更新中)

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最後の救い
2009.12.31 Thursday 06:49
齊藤ゾンビです。


人が、全てを失って、心も折れて、夢も希望も何もかも失ってしまった時にその人を最後の最後に救うものとは、なんであろうか?

それは、傷心しきっているその人を気遣ってくれる身近な人間かもしれない。

しかし、世の中には、そんな人間も傍にいない人もいる、又は、求めない人もいる。

それは、きっと誰しも経験があるかもしれない。

その時、その人を救ってくれるものとは、何なのであろう?


それは、「過去の記憶」なのかもしれない。

過去の楽しかった時の記憶。

現実や未来にすがるものが何もないからこそ過去の記憶が必要となってくる。


記憶は、その人の心の中でずっと存在し続けているもの。

目をつぶって思い出す。

傍目から見たら、ただ目をつぶっているだけに見えるかもしれない。

しかし、その人にとっては、正に記憶を思い出している瞬間であり、その人が過去の世界を生きている瞬間でもある。

現実とは、決して目に見える世界だけではないと私は思っています。


少しの間でも過去の時間を生きるだけで、少しの元気や希望を見いだせたりできる。

現実ばかり見ていても何も見えない時もある。

人が本当にダメになった時は、「記憶」だけが救いとなってくれる。



「記憶」とは、不思議なもの。

あるアニメでこんなセリフがあります。

「音楽とか映画とかってその中身がっていうよりもその時の記憶っていうかさその時の人と人との関係を思い出すことが多いだろ。
つまり記憶というものは、決してそれ単体で存在せず、それを取り巻く環境に支配されているというわけだ。」

私は、このセリフを聞いた時、面白いなって思いました。

本当に覚えている記憶というのが、「取り巻く環境」=「その時の人と人とのぶつかり合う感情」だったからです。

人が忘れないことは、その時その時の感情。

「嬉しい」や「悲しい」や「怒り」…。

「嬉しい」想い出は、ずっと記憶に残るでしょう。

そして、その記憶が、未来の自分の糧となる。


話は、少し変わってしまうのですが、私は、毎日「出会い」と「別れ」をしています。

「出会い」とは、その日に出会った人やその日に掛けられた言葉や感情。

そして、「別れ」は、その日に出会った人とその日に掛けられた言葉や感情。

私は、全ての出会いには、すぐに心の中で別れをします。

なぜなら、永遠に続くものとは、滅多にないものだからです。

今日、出会った人とは、もう会わないかもしれない。

今日、掛けられた言葉や感情は、今日だけのものかもしれない、それとも来週までのものかもしれない、それとも1年後までのものかもしれない…。

人とは、変わっていくもの。

それは、考えが変わっていくということだったり、又は、忘れてしまうという「変わる」という意味でもあったり。

永遠に続くものは、本当にない。

それは、とても悲しいことですが。


だから、私は、その時その時の瞬間を大事にしています。

よーく見つめるようにしています。

忘れないようにしています。

又、その瞬間が楽しいものであればあるほどその瞬間・その時を大事に記憶しておくようにしています。

もう来ないかもしれないその瞬間を。


そして、鮮明に残した楽しかった時の「記憶」は、未来の自分の糧になる。


「記憶」は、一生の宝であり、糧。


[記憶]とは、唯一一生変わらない故に、人にとっての最後の救いと言えるかもしれない。
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良い恋愛の条件
2009.11.11 Wednesday 12:13
齊藤ゾンビです。


世の中には、「恋愛」がうまくいかないと思っている人って凄く多いと思います。

私は、恋人を作ったことがないので、恋人との関係についてあまり考えたこともありませんが、たまに考えることもあります。

何も知らない分際ですが、友人からは、恋愛の相談をたまに受けたりします。

その時、自分なりの知識と解釈でいろいろと話したりしますが、ほとんどの相談の内容が、男性側に問題があったものだったと思います。



恋愛の本質は、実際に恋愛をしてみないと分からないことだと思いますが、私は、世の中の多くの人が恋愛でがうまくいかない原因として思うことが一つあります。

そして、良い恋愛をする上で最も大切なことは、これかなと思うことがあります。

それは、「お互いに努力すること」です。

その努力というのは、過去の日記にも書いたことですが、「思いやりを忘れない努力」のことです。


男性と女性は、脳の構造が少し違うことからも言えるように、物事の考え方が違います。

私的考えですが、女性というのは、平均的にとても優しい心を持っていて好きな人には「一途」で尽くすという人が、ほとんどではないかと感じます。

そして、その一途な想いは、何年経っても衰えることがほとんどないと思います。




その反対に男性というのは、自分勝手な生き物だと思います。

最初は、思いやりを大きく注いで優しく接するが、付き合いが長くなってくると思いやりも薄くなり自分勝手を振舞ってくると感じます。

いわゆる「マンネリ化」ってやつですかね。

そのような男性の態度は、今も昔も同じだったと思います。

昔の日本の夫婦の形というのは、「女性が男性の一歩後ろを歩き、男性を立てる」というのが、夫婦の形だったと思います。

夫はいつも自分勝手な行動をし、妻はそれを一歩下がったところから見守る。

時折見せる夫の愛情表現。

妻は、いつも苦労をするが、でも、一途でどこまでもついていく。


昔の家庭を描いたドラマや映画の風景とは、このような感じだったと思います。



妻は、いつも夫の自分勝手を見過ごし静かに見守る。

いわば、女性は、ずっと我慢ってことですよね。




あるテレビ番組で何十年も夫婦円満だという夫婦に円満の秘訣をインタビューして聞いていた番組を過去に何回か(違う番組でも)見たことがあります。

私は、とても興味深くその回答を見ました。

そして、夫婦円満の夫婦には、共通した回答がありました。

それは、妻側が答えた回答なんですが、その回答とは、

「我慢」と「すぐ忘れること」

とおっしゃっていました。

妻がそう答えた時の夫の反応は、皆「えっ!!そうなの…」って感じでした(笑)。

夫は、いつも自分勝手な言動をするが、それにいちいち反抗していたら、らちがあかないということを経験から学び、夫の言動を「我慢」し、ストレス・怒りを「すぐに忘れること」が、争いも起こらず円満に日々過ごしていけることだと気づきそうしているんだとおっしゃっていました。

正に、昔の夫婦の形ですよね。


要するに、男性は根本的に自分勝手な生き物だから、それに合わせないとやっていけないということなんですよね。

女性は、男性にくらべて精神的に強いと言われていますが、その精神的な強さがあるから「我慢」ができるんでしょうね。

又、酷いことですが、昔は「男尊女卑」という言葉もあったぐらい女性差別がありました。

その環境からも家庭での夫婦の関係のあり方にも大きく影響があったのかなと思ったりします。

「妻は、夫の一歩後ろを歩く」っていう考えがあったように。

しかし、今は、法律もしっかりとして、女性差別というのが無くなりました。

昔と今とでは、女性の環境が大きく変わりました。

女性の大きな環境の変化に伴い、女性の考え方や心にも大きな変化が出てきたと言えます。

それは、普通に考えて、男女の扱いが平等になったことによって、「女性は、男性の一歩後ろを歩く」という考え方が「女性と男性は、横一列になって歩く」という風に意識が変わったんじゃないかなと思います。


しかし、男性側には大きな変化はなく、昔同様に「自分勝手」というものが受け継がれていると思います。


そうすると、「一歩下がって歩く」という考え方が出来ない女性は、男性との愛の形が合わないと感じます。


1960年からの集計しかありませんが、実際に1960年〜2006年までの離婚件数の統計グラフは、右肩上りになっています。



一概には、そういうことだとは言えませんが、経済的不況も関係しているのかもしれません。

夫婦円満だとインタビューで答え、「我慢」と「すぐに忘れること」と答えていた夫婦は、皆、熟年夫婦でした。

今と昔は、違うんですね。



なので、今の恋愛は、「女性が一歩下がる」恋愛ではなく「平等の恋愛」ですから、男性は自分勝手を抑え、女性に対し「思いやり」を持つことが何よりも大事なんだと感じました。

女性に「我慢」をさせてはいけない。

簡単のようで男性にとっては、難しいことなんだろうね。

もちろん女性側も「思いやり」を持たなくては、意味がないことですよね。

お互い「思いやりを忘れない努力」は、「良い恋愛の条件」かなとふと思った今日このごろです。


と言っている私は、男性ですが、私もそういう時は、ちゃんと出来るのかな。


そういえば、最近、「草食男子」という恋愛に無気力な男性が多くなってきたと言われていますよね。

「自分勝手」を言わなそうですが、恋愛に積極的でないのは、一生やっていく上では、きついかもしれませんよね。

何でも「程よい」のが良いんですよね。

でも、その「程よい」が難しいんでしょうね。




そういえば、結構前ですが、あるテレビ番組で俳優の的場浩司さんが話していたある話があります。


「俺は、娘に絶対に嫌われたくない。

娘が大きくなってもいつまでも大好きと言われる父親になりたい。

だから俺は、親子(娘)仲が良いいろんな知人にどうやったらそんなにいつまでも仲良くやっていけるのかその秘訣を聞いてるんです。

みんな分からないって言うんですが、でも、一つだけ共通していることがあったんです。

それは、家の中でパンツ一枚でウロウロしないということです。

それ以来俺は、家の中でパンツ一枚でウロウロしないようにしています。」


娘に嫌われたくない為にパンツ一枚になりたい願望を抑え、それをずっと実践しているのは、娘に対しての凄い「思いやり」だなと感じますね。



この話は、何か凄く印象に残っていて覚えている話です。


小さなことですが、「思いやり」ってこういうことなのかな。


最後にあともう一つ的場さんの話を書こうと思います。

的場さんは、家での掃除・洗濯は、全て自分でやるそうです。

それは、なぜなんですか? と尋ねられた時にこう答えたそうです。

「子供の成長が感じられるから。」


本当我が子が大好きなんだなと深い愛情を感じましたね。

素敵過ぎる!!
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「生きる」方程式
2009.11.08 Sunday 08:19
齊藤ゾンビです。



[生きている実感]。

それは、[誰かに想われていること]だと私は思います。

逆に[死]とは、誰からも想われることなく、そして、誰の記憶にも忘れ去られた瞬間のことだと思います。

肉体的な[死]が訪れても、誰かの心にその人の想いがずっと存在し続けていたら、その人の世界で生き続けているものだと感じます。

だから、エルビス=プレスリーや芥川龍之介、松田優作、彼らは、死んでからもう何年も何十年も経つのに死んでいるように感じない。



いつまでも想い続けられているからね。

消えないんだよね。


しかし、逆に全ての人達から忘れ去られてしまったら、想われなくなってしまったら、それは本当に[無]であり[死]なんだと感じます。

又、それを[孤独]と言うんだと思う。



生きているのに自分の存在が[無]になるのは、きっと一番恐怖なことだと思う。

それは、[死]と同じだからね。



犯罪を犯した人が、その動機に[注目されたかったから]という言葉をよく耳にします。

それは、裏を返せば[自分の存在を知って欲しかった・確かめたかった]と言っているように感じる。



子供は、親の愛情を感じられなくなると親の気を引こうと悪いことをしようとしてしまう(それが非行と呼ばれるもの)。



近年増加している自殺者の数。

最も多い年齢層は、高齢者と言われている。

そして、高齢者の自殺の動機には[孤独感]というものが多いそうです。




又、過去にある学生がある実験をしていた映像をテレビで観ました。

それは、[孤独]を体験する実験。

その実験とは、×印の書かれたマスクを口に付け、被験者がやめたいと思う時までずっと誰とも口を聞かないというもの。

それは、学校でも家でもどこでも。

ずっと沈黙するんです。

最初の数日は、周りの人達が物珍しそうに近付いてきたりするのですが、それをずっと無視し続けると周りの人達は、一切関心を寄せなくなってくるのです。

そして、無関心から何日か経つと、まるで本人が空気になったかのように被験者の存在を周りの人達は、一切気にしなくなります(無視)。

その時、とてつもない[孤独感]を体験できるという訳です。

テレビで観たその被験者の方は、途中で[孤独感]という苦痛に耐え切れなくなり、精神的におかしくなり泣き出してしまい終了しました。

「[孤独]というものが、こんなに辛いものだったとは、思わなかった。
こんな経験は、もう二度と味わいたくない。]

と言っていたのを覚えています。




[想われていないこと]は、とても怖くて苦しくて辛くて人をおかしくさせてしまう。

誰からも想われていない、孤独という世界は、大きな不安と恐怖で渦巻き、それはまるで[死の世界]。

[無]=[死]。

人は、そこから必死に生きようと・脱出しようともがき、そして、何かを見失ってしまう。

それが、犯罪であったり自殺であったり。



人は、必死に人に想われようと頑張っている。




それを逆に考えたら、人に[生命力]を与えることとは、その人のことを[想ってあげる]ことだと考えられる。


誰にでも辛い経験があって「死にたい」って思った瞬間があると思います。

でも、そんな時って誰かが慰めてくれたり、心配してくれたりして、それで立ち直った人ってみんな経験あると思います。

それってきっと[掛けてくれた言葉]や[接し方]が良かったからとかではなく、[想ってくれている]というその気持ちが立ち直らせた力=[生命力]なんだと感じます。

[人を想うこと]は[愛]であり、「愛」は[幸せ]を喚起させ、「幸せ」は[生命力]へとつながる。



想ってくれているだけで人は、幸せ。



親は、子を凄く想う(愛する)。



恋人同士は、お互いのことを凄く想う(愛する)。



凄く[想われている(愛されている)]時って、とても幸せを感じますよね。


その[幸せ]が[もっと生きたい]って思わせる動機にさせて[生命力]につながっていくんだと私は思います。




私は、昔から
[人は何の為に生きている(生まれてきた)んだろう?]
ってよく考えたものです。

子供の頃からいろいろと考えて辿り着いたのは、[意味など無く、ただ生まれてきただけ]ということでした。

意味なんか無い。

だから、生まれてきた私達人間にとって一番大切なことは、[生きたいと思う気持ち]なんだと思う。


[生きたいと思う気持ち]は、[幸せだと感じる気持ち]。


[幸せだと感じる気持ち]は、[人から想われている(愛されている)と感じる気持ち]。



[想う(愛)]×[想う(愛)]=[幸せ(生命力)]



これが、全ての人における[生きる]方程式なのかなぁ。



しかし、自分自身に[想う]相手がいなければ、又、[想う]相手が何も反応を示してくれなければ、それは、[=不幸(死)]になってしまう。


[想う(愛)]×[想う(愛)]=[幸せ(生命力)]


[生きる]方程式のどちらか[想う(愛)]の部分に[孤独]というものが入ってしまうと、それは[死]の方程式になってしまう。


[孤独]とは、全てを[=0]へと誘ってしまう[0(無)]死神カードなんだ。




[愛する]という言葉の反対語は、何でしょう?

それは、[嫌う]ではありません。

辞書に書かれているのは、[無関心]という言葉でした。
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「偽」からの再スタート
2009.09.09 Wednesday 01:26
齊藤ゾンビです。



「偽」という漢字って、何か嫌なイメージがあると思います。

悪いニュースでよく見かけられる漢字ですからね。

でも、この「偽」という漢字をよく見てみると「人」の「為」と書かれていますよね。

人の為は、「偽」から始まるということにも見て取れます。

本当の漢字の意味は、[「人」が「為す(なす)」ものは、「偽」]という意味なんです。
人が作り出すものは、人工的なものであって「自然」なものではないよって言う意味なんです。

でも、私は、前述の[「偽」は、「人」の「為」]という意味は、本当の意味では無いけれど、深く人間というものを捉えているものだと感じます。

人間って心から人の為にと思って善いことをする・出来る人って凄く少数だと思います。


人の為になるようなことは、必ず自分自身の何かを犠牲にしないといけません。

それは、「時間」であったり、「体力」であったり、「精神的」なものであったり、「我欲」であったり、何かを。

ほとんどの人は、人の為になるようなことをする時は、必ずその犠牲による葛藤というものを抱くと思います。

「あぁ〜、どうしよう?」って。

そんな本心を押し殺して自分の本心を「偽ったもの」=「親切」が、結果的に[「人」の「為」]にとつながっていくんだと私は思います。

そして、「偽」の自分を何度も繰り返していくうちにそれが当たり前になっていき、いつかは「人」の「為」にやっているという意識が無くなり、「偽」という漢字から「人」という字が消え、「為る(なる)」という風になるんだと思います。

そういう人間に「為った」ということになるのかな。



私は、良い人間関係を築いていくのに一番大切なことは、「思いやり」の気持ちだと思っています。

「思いやり」を辞書で調べると「他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。」と出ます。

相手の心を常に気に掛けることは、とても大切なことですよね。

時に、人は、自分の我欲の為に他人に迷惑を掛けてでも求めようとするものだと思います。

それが、「自分勝手の行為=思いやりの欠如」であり、又、その思いやりの欠如は親しい関係であればあるほど大きくなりがちだと思います。

良い関係を築いていくには、とても努力がいります。

それは、「思いやりを忘れない努力」。

「自分勝手な自分」=本心を抑制して、「偽」の自分で接し続ける努力が必要なんですよね。

「偽の心なんて、その人自身じゃない」なんて思う人もいるかもしれませんが、人の心というのは、努力すれば変わるものです。

「偽」の心は、慣れとともに「人の為に」という考えが消え、その人自身の心に「為る」んですよね。



私は、今までにいろんなドキュメンタリー番組で、心が入れ変わった人たちをたくさん見てきました。

やっぱりそういう人たちって自分を変えようと「(悪く染まった)本心」を一生懸命に隠して・偽って努力をしてる姿があるんですよね。

正に、そういう人たちの「偽」の「人」の部分は、「自分自身(人)の為に」という意味なんですよね。

私は、人間関係でも、自分自身でも、良い方向にさせるのには、偽る努力が必要だと思っています。

最初は、「人の為に」、そして、それが当たり前に「為る」ために。



一度は、感じたことがあると思います。
自分自身に嫌気をさしたことが。

そんな時は、目標・モデルとなる人物を見つけると良いと感じます。

目標となる人物を見つけると努力しやすいですよね。

「私は、この人のように為りたい」

一つの目標・モデルを見つけて、そこから本来の自分を捨てて「偽って」、理想の自分に為っていくんですよね。



そんなことを最近ふと思った今日この頃です。




そんな私は、子供の時から「映画に出てくる主人公のようなカッコイイ人になりたい」とずっと思ってきました。

そして、子供の頃から、映画からいろんなことを知ろうとたくさん観てきました。



今は、映画に出てきそうな素敵な家庭のお父さんになるのが憧れです(全部映画だ(笑))。

とても漠然的ですが、幸せな家庭は、自分にとって、家族にとって「最高の幸せ」ですよね。
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